京都民俗学会京都民俗学会

談話会・年次大会の記録

2017年 2016年 2015年 2014年 2013年 2012年 2011年 2010年 2009年 2008年 2007年 2006年 2005年 2004年 2003年 2002年 2001年 2000年 1999年 1998年 1997年 1996年 1995年 1994年 1993年 1992年 1991年 1990年 1989年 1988年 1987年 1986年 1985年 1984年 1983年 1982年

第33回年次研究大会

日 時:2014年12月7日(日)9:30-17:20 

会 場:京都市職員会館かもがわ 

第1報告  
村上忠喜(京都市文化財保護課)
「都市文化としての地蔵盆」

地蔵盆はコミュニティー活性につながる習俗として、そのポテンシャルが指摘されて久しい。
一方、これだけ広範囲に見られる習俗でありながら(それ故なのかもしれないが)、
地蔵盆の系譜についての理解には、論者によって相当の幅がある。
本報告は、この幅を少しでも埋めることを目的として、京都に限定はするものの、
地蔵盆がいつはじまったのか、その儀礼内容に変遷があるのか、
現在及び明治期の地蔵盆開催の状況について、近世・近代の文献、町村制施行期の調査資料、
2013年秋に京都市が市域の全自治会を対象に行ったアンケート等を資料として考察する。


第2報告  
近石 哲(神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科博士後期課程)
「近畿地方にみる地蔵像の彩色
      −路傍の彩色(化粧)地蔵像分布の考察−」

日本国内において各地に流布・分布している民間信仰の中で、
今現在、最も盛行している一つに「地蔵信仰」がある。
信仰対象の大多数は石仏の地蔵像であり、その像に施す彩色という行為はとくに注目すべき特徴である。
この彩色も地蔵信仰同様日本全国に分布をして、各地方でそれぞれ独自の特徴があると言える。
地蔵像の彩色については謎が多く、しかもその習俗の起源や由来さらには分布・伝承過程について
確証を得られる資料は皆無と言えるほど乏しいのが現実であると言っても過言ではなかろう。
以上の事から、今回報告の地蔵彩色習俗は、京都を中心とした地蔵像の彩色が盛行している
近畿地方(中央部〜北部)を調査考察地域として、彩色の視点を分布状況の考察に特化し、
調査資料を基にどのような事が考えられるかを報告してみたい。


第3報告  
湯 紹玲(滋賀県立大学大学院地域文化学研究科博士後期課程)
「日本の盆行事・中国の中元節の比較研究
      −(1)中国の中元節を民俗地図化する可能性」

これまでに日本のムラ・イエの盆行事に関する基礎研究を通じて蓄積してきた
研究視点・方法を「日本の盆行事・中国の中元節の比較研究」に活用する。
中国側の資料は主に『中国地方誌民俗資料汇編』というシリーズを用いる。
そのシリーズでは中国全国各地(中国の県のレベル)の地方誌の民俗編を収録し、
数としては1500例にのぼる。中には中元節の記録がほとんどあり、内容的にも
日本の盆行事と比較できるレベルに達している。
それは現在の中国ではなかなかできない調査だと考えている。
ただ、それらの地方誌の事例は、年代の幅が明代から中華民国まで広がっているので、
資料として用いる際に時代的に分けて考察する必要があり、ほかの民俗資料で補充していく必要もある。
これらの事例を分析し、中国の中元節の民俗分布図ができるのではないかと考えている。
その民俗分布図に基づいて、日本の盆行事との比較を深めていくつもりである。
その比較は大きな作業なので、段階的に学会発表において公表していきたい。


第4報告  
橋本 章(京都文化博物館) 
「戦国武将の民俗誌
      −小堀遠州が東浅井郡田根村の偉人になるまで−」

明治維新以後、新政府が主導した方針は、日本を急速に中央集権的な
近代国家へと変貌させ、それと共に中央対地方という図式が明確化していった。
次第に埋没する地方にあって中央との連結を模索した地元の有識者たちは、
郷土史研究をその手段のひとつとして機能させていった。
明治から大正昭和にかけて、滋賀県北部の寒村で活動した無名の郷土史家・
田中礎(1872−1960)もそのひとりで、彼は地域の神社の神職としてその社格上昇運動に取り組むと共に、
戦国武将・小堀遠州ら郷土にゆかりの歴史人物の研究を通じて、地域アイデンティティの確立に努めた。
彼が示した研究成果は、やがて地域の教育運動として隆盛し、昭和期の戦時中には
教化村指定という形で中央との接続を果たした。そしてその足跡は、戦後も新たな命を与えられ、
郷土資料館設立の根幹を為した。
本報告では、田中礎が残した業績が地域社会に果たした役割を追うことで、
あるいは民俗学のもうひとつの可能性であったかもしれない地域研究の展開過程を検証する。


第5報告  
中原逸郎(京都楓錦会)  
「粋(すい)の顕れ
      −大正時代の上七軒楓錦会における花街舞踊の継承を中心に−」

都市におけるパフォーマンスの一つに花街舞踊がある。
花街舞踊は都市を中心に発生した花街の諸芸(芸能と同義)のうち
舞台で公開される地域的伝統芸能で、都市の民俗としても興味深い内容を持つと考えられる。
本発表は京都の花街・北野上七軒(上京区、以下上七軒と略す。)を元に
京都市民の美意識の一つである「粋」の顕れとしての花街舞踊の継承の実態を捉えることを目的とする。
上七軒は足利幕府時代に発生し、その歴史は京都の古式ゆかしい花街として
全国的に知られた祇園甲部(東山区)よりもさらに古いとされる。
上七軒は江戸時代以来、祇園甲部等と同様、京舞篠塚流を継承してきたが、
明治時代末期に後継者が途絶え篠塚流が衰退すると、花街の存続の核となる芸の選択問題に直面した。
本発表では聞き取りを交え、大正末期のこの芸の選択に寄与した上七軒楓錦会の活動を中心に、
芸という民俗の変容に関わる諸問題を浮き彫りにしたい。


第6報告  
森本一彦(高野山大学密教文化研究所受託研究員)
「高野山の僧侶の移動について
      −『金剛峯寺諸院家析負輯』を中心として」 

高野山を中心として信仰・政治・経済などの重層的な関係性によって
成り立っていた高野文化圏は、物流とともに人の移動も盛んに行われていた。
特に高野山は宗教都市であるとともに、明治に入るまで女人禁制を守っていたために
出生率ゼロであり、それを維持するためには人口流入によるしかなかった。
人口流入が日常であったために、その実態を知る資料はほとんど残されていない。
そこで、江戸時代に編纂され、高野山内の住職の移動が記された
『金剛峯寺諸院家析負輯』を手がかりに高野山における移動の実態を検討する。


第7報告   
藤井和子(関西学院大学大学院博士後期課程) 
「基町のガタロさん
      −被爆地ヒロシマで生みだされたセルフトート・アート(self-taught art)−」

爆心地から1.5km、広島城の傍らに基町ショッピングセンターがある。
その清掃員であるガタロさんは、『清掃の具』という画集を自費出版した。
彼の絵は、彼にしか描けない力強さを放つ。
身体の不調に悩まされ続けながらも、川の向こう側にある世界に憧れ、
高校卒業後は広島を離れ就職した。10年後、心身ともに疲れ果て広島に戻り、
職を転々とした挙句、基町ショッピングセンターの清掃員として受け入れられた。
川は常に流れ、海の向こうの世界とつながっていると、この基町で生きていくことを決意し、
名前を捨てガタロと名乗った。
ガタロさんの父親は、自身の被爆体験について、生涯で一言、
「世界のおわりじゃおもうた」としか語らなかった。その父の死後、父のことばの向こう側に
あるものを理解しようと、原爆ドームに通い、ひたすら絵を描き続けた。
職場では、無責任に垂れ流される大量のごみと格闘しながら、多くの作品を生み出した。
ガタロさん自身も、ガタロさんのself-taught artも、基町で生み出された。その過程を報告する。


第8報告  
河原典史(立命館大学文学部) 
「わかさ美浜町におけるツーリズムの変容
      −海水浴から食文化を活かした地域振興へ−」

近代日本では、遠浅の砂浜海岸において海水浴というツーリズムが発達した。
とりわけ、東京、名古屋や大阪などの大都市の周辺地域では、海水浴場やそれに付随した
別荘の建設や、いわゆる臨海学校と呼ばれる学校行事なども展開した 。
第二次世界大戦後、とくに高度経済成長期になると、交通手段の発達によって
多くの海水浴場に民宿が開業された。しかし、近年では海水浴という
季節的なツーリズムだけへの依存に危機感を覚えた地域では、さまざまな地域振興を試みている。
本発表では、福井県三方郡美浜町において、伝統的に製造されてきたサバ(鯖)のぬかづけである
「へしこ」を活かした地域振興について考察する。
その場合、郷土食を継承し、それを発展させようとした女性たち、とりわけ接客から
直接的なニーズを知ることのできる民宿の女将たちの活動に焦点を当てたい。


第9報告  
市川秀之(滋賀県立大学人間文化学部)
「滋賀県下における近代遥拝所の設立状況」 

神社の境内で「遥拝所」と記された石碑をよくみかける。
そのなかには遥拝対象を記したものもあり、その多くは神武天皇・明治天皇・靖国神社など、
近代天皇制における象徴的意味合いをもったものである。
この近代遥拝所は近代天皇制国家と地域民衆を連結させる機能をもった宗教装置と
ひとまずは理解できるが、それに関する先行研究は皆無である。
本発表においては、滋賀県湖東・湖南地域の各市の遥拝所を悉皆調査たデータを用い、
また滋賀県庁文書にみられる遥拝所設置時の申請書類なども参照しながら、
その歴史的な性格を明らかにすることにつとめたい。

第273回(特別シンポジウム 京都の剣鉾と祭り)

日 時:2014年12月6日(土)13:00〜16:30
場 所:京都市職員会館かもがわ

概 要:
報告者
モノからみた剣鉾と祭り
・溝邊悠介 氏(京都造形芸術大学大学院)
 「剣鉾の形態と剣鉾差しの動態との関係性について」

文書からみた剣鉾と祭り
・村山弘太郎 氏(京都外国語大学非常勤講師)
 「貴所からの祭具拝領」

ヒトからみた剣鉾と祭り
・今中崇文 氏 (国立民族学博物館外来研究員)
 「剣鉾の「復興」と有志による鉾差し技術の継承」

コメンテーター
・高島孝佳氏(剣鉾BLOG主宰)
・向田明弘氏(京都府教育庁文化財保護課)
・橋本 章 氏(京都府京都文化博物館)

趣旨説明・進行
・福持昌之 氏(京都市文化市民局文化財保護課)

要 旨:
祇園祭の山鉾巡行は、京都の夏に欠かせない風物である。
その鉾と起源を同じくする、もうひとつの鉾の祭りがある。
その鉾は、総称して剣鉾と呼ばれているが、その実態は明らかではなかった。
京都市が実施した平成の剣鉾調査の結果、市内およそ60カ所の神幸祭を伴う祭礼に
剣鉾が出ており、剣鉾の伝世品はおよそ300本にのぼることがわかった。
本シンポジウムでは、平成の剣鉾調査の成果をもとに、今後の研究の可能性や
方向性を示唆する意味で、モノ、文書、ヒトの3つの視点から迫る。


モノからみた剣鉾と祭り
溝邊悠介 氏「剣鉾の形態と剣鉾差しの動態との関係性について」

平成の剣鉾調査では、モノとしての剣鉾に対して、計測調査や観察による調査を実施し、
『調査報告書』にはそのデータを掲載した。計測調査では、各構成部材の長さ、
厚みなどの寸法を集積し、各地域での傾向を検証した。またモノに付随する箱書きなどの
銘文情報も収集し、剣鉾の形態変遷を紐解くための基礎データ を作成した。
論考ではそれらデータの中から、剣鉾の寸法の違い(長さ等)などの要点となる
データを抽出し、東山、嵯峨、平岡、鞍馬のモノ形態差と差し方との関係性について
述べたが、差し方の派生や歴史的な変遷の検証までは至っていない。
本報告では、計測調査結果のデータを踏まえ、さらに剣鉾の在銘資料を整理・分析し、
現在の祭礼において「鉾を差す」という動態が、どの時代まで遡れるのかを検証する。
特に調査報告書の中で提示した差し方の違いと、紀年銘が刻まれている各部材の形態に
焦点を当てて検討したい。


文書からみた剣鉾と祭り
村山弘太郎 氏「貴所からの祭具拝領」

『調査報告書』では、剣鉾に史料からアプローチし、剣鉾をはじめとした祭具類が
貴所から寄附され、鉾町など守護団体が拝領していく過程について、
特に御霊神社、下御霊神社、紫野今宮神社を中心に検討した。
しかし剣鉾をはじめとした祭具類を貴所から拝領したという行為は、
それら神社の祭礼特有のものではなかった。『調査報告書』作成にあたり、
京都市歴史資料館および京都府立総合資料館を中心としながら関連する
近世から近代にかけての史料調査および収集を行ってきたのであるが、
そこでは祭具類の寄附・拝領にかかわる史料群を複数の神社・祭礼において
多数発見することができた。
これはつまり、剣鉾の存立には貴所からの祭具拝領が一定の役割を果たしていたと
考えることが可能であろう。ゆえに史料から剣鉾全体を俯瞰しようとした際,
祭具拝領は重要な視点の一つとなるものである。
そこで本報告では、『調査報告書』での成果の再検討をおこなったうえで、
『調査報告書』には反映することができなかった事例の追加をめざし、
さらには寄附・拝領という行為自体の意義についても考察を行いたい。


ヒトからみた剣鉾と祭り
今中崇文 氏「剣鉾の「復興」と有志による鉾差し技術の継承」 
 
『調査報告書』では、東山系の鉾差しへのインタビューをもとに、一時は存続自体が
危ぶまれていた東山系の鉾差しが,有志による集団の形成によって「復興」に
転じていく過程を明らかにした。
京都市内の各地で剣鉾を差すことを請け負ってきた東山系の鉾差しは、血縁や地縁と
いった関係によって集団を形成していたものの、高齢化や後継者不足により減少の
一途をたどっていた。それが増加に転じたのは、一乗寺の鉾差しにより、
各地の有志に鉾差しの技術が伝えられてからのことである。
本報告では、このようにして増えた鉾差しが、どのようにして各地の剣鉾の 「復興」と
結びついていったかを明らかにし、有志による鉾差し技術の継承が
さらに拡大しつつあることを示す。

第272回

日 時:10月16日(木)
会 場:ウィングス京都 セミナーA

発表者:川村 清志 氏(国立歴史民俗博物館准教授)/民俗学、文化人類学

論 題:反撃の文化―COUNTER ATTACK ON/OF CULTURE
          Sie sind Die Fälschung und wir sind der Leiter.

要 旨:
もはや城壁は崩され、巨大な敵が我々の領土だった場所を跳梁跋扈する。
ある者は呑み込まれ、ある者は踏みつけられ、ある者はひたすら逃走をはかる。
混沌と叫喚のなかでさらに醜い争いが繰り広げられる。
逃げ惑い、奪い合う人々は、お互いを罵り、貶め、非難する。
同じ方向を目指しながら、彼らはそれにも気づかず、
敵と味方の区別なく見えない銃を撃ちまくる。
わずかな資源に群がり、容赦なく略奪し、かつて打ち捨てたものまで刈り取ろうとする。
守るべきものから否定され、かつての領域も浸食され、
サルベージしたものはまたたくまに色あせるというのに。

  我々の前に立ちはだかる巨人の名を、どのように特定しようか。

「遺産」「文化財」「保護制度」「文書資料」「実証主義」「公共性」「アーカイブ」、
個別の名称は、いくらでも浮かびあがるが、
そのむこうに控える何かを名指すことは容易ではない。
しかし、敵が用いるその言葉を目の当たりにするとき、
私たちのなかに戸惑いと諦念と無力感がないまぜとなった感情が噴出しそうになる。
それは、なぜか。
彼らの理念、彼らの実践とイデオロギーと力(パワー)の源を言い表す言葉が、
「文化」に他ならないからだ。

そう、この孤独な戦いは、最初から我々の内面を突き崩す行為とならざるをえない。
少なくとも私は自らの実践と言説の鋳型や土台であるとともにそれらによって成型され、
変容させられる諸過程とその対象を「民俗」とは呼ばない。 
我々にとってもアルパにしてオメガとなる言葉は、「文化」なのである。
その自己撞着と認識論的な転倒のなかで、我々は常に揺れ動く現場を見据え、
地図もなく行き先も知れない道を、一歩ずつ歩んでいくしかない。

東日本大震災は、自然の猛威などではない。
それはどこまでいっても人間の側の営みの問題なのであり、
突き詰めて言えば、「文化」の問題に帰着する。
あえていえば、津波や地震で人が、村が、町が滅びることもまた、「文化」に他ならない。
災害は、我々に何か新しい問題を提起したかのように語る者もいる。
だが、新たな問題など何もない。
ただこれまで潜在していた問題が、比喩ではなく怒濤の勢いで顕在化しただけである。
その矛盾と混乱は、常に既に我々の懐に静かに脈打ち続けていた。

このような状況にあって、我々は、あえて「文化」を標榜しよう。
文化の牙城を突き崩す先陣にして、「文化」という反撃の一矢を放つ狩人となろう。
経済や政治を巡る言説と実践によって、圧倒的な周辺に追いやられると同時に、
一部の利権をむさぼる簒奪者たちによって、それ自体が政治的経済的に利用され続ける、
もっとも手垢にまみれたこの言葉に、我々の営みの可能性を担保しうるか、否か。
それをいま、ここで真正面から問い直してみたいと思う。
果たして、我々はこう宣言できるのか。
我々こそが〈文化〉の執行者(アドミニストレーター)であると。

第271回(第2回理論民俗学研究会同時開催)

日時:2014年9月6日(土)
会場:関西学院大学 梅田キャンパス アプローズタワー 10F 1005教室
   

【第1部】第2回理論民俗学研究会 司会:山泰幸(関西学院大学人間福祉学部教授)

・平山美雪(立命館大学非常勤講師)・島村恭則(関西学院大学社会学部教授)
 「フォークロア教科書を読む・つくる」(1)

・マリア・ヨトヴァ(国立民族学博物館外来研究員)
 「ブルガリアのフォークロア・エスノロジー・人類学」
 
【第2部】第271回京都民俗学会談話会

・土居浩(ものつくり大学建設学科准教授・生活学(民俗学/地理学))
 「辞書で「民俗学」はどう説かれるか―通俗知識への民俗学的介入へ向けて―」

土居浩氏報告要旨:
本報告の最終的な目的は、Wikipedia日本語版における民俗学関連項目が表象する
通俗知識群に対し、その編集というきわめて介入的な民俗学的実践を提案し、
賛同者を募ることにある――
と、最近の「尖鋭的」な議論でしばしばお目にかかる
「介入」「実践」はたまた「表象」などの語彙を散りばめてみたが、
要は、何かといえばWikipediaを切り貼りする学生たちと付き合ってきた報告者が
日々遭遇している「眼前の事実」に、正面から向き合うべく覚悟したことの宣言である。
このような学生たちに対し、Wikipediaからの引用禁止、などと
指導(介入?)したところで、肝心の問題は宙吊りにされたまま先送りされるに過ぎない。
むしろ問題は、現在の「節用禍」をいたずらに遠ざけてきた側にこそあるのではないか。
本報告では、辞書で「民俗学」はどう説かれるかを緒とし、問題への介入を試みる。

第270回

日 時:7月24日(木)
場 所:ウィングス京都 セミナーA

発表者:黛 友明 氏(大阪大学大学院博士後期課程)

論 題:明治期の伊勢大神楽ー太夫家所蔵史料を中心にー

第269回

日 時:6月27日(金)
場 所:ウィングス京都 会議室1、2

発表者:島村恭則 氏(関西学院大学社会学部)

論 題:フォークロア研究とは何か―「民俗学」を再定義する―

第268回

日 時:5月29日(木)
場 所:ウィングス京都 セミナーA

発表者:エリザベッタ ポルク 氏(国際日本文化研究センター外国人研究員) 

論 題:祇園祭―宗教・文化・共同体 

第267回

日 時:4月25日(金)
会 場:ウィングス京都 セミナーB

発表者:村田典生 氏(京都市観光協会・京都総合観光案内所)

論 題:流行神(はやりがみ)―ハヤリ・スタリとそのメカニズム―

第266回(第1回修士論文報告会)

日 時  2014年3月21日(祝)
会 場  キャンパスプラザ京都

・山中 崇裕(佛教大学大学院文学研究科)
 「六斎念仏における信仰の創出と変容
  ―寺院掌握からみた六斎念仏の宗教性を中心に―」

・西尾 嘉美(関西大学大学院文学研究科)
「有形民俗文化財の活用に向けて―回想法を中心に―」

・細里わか奈(佛教大学大学院文学研究科)
 「愛宕鎮火講社の研究」

第265回(第5回卒業論文報告会)

日 時:2014年2月22日(土)9:30-17:35
会 場:立命館大学衣笠キャンパス 清心館 525号教室


・門脇実花子(佛教大学)
 「神社祭礼の市民祭化に関する研究?滋賀県大津祭を事例として」

・堀 亜紗子(立命館大学)
 「観光政策に対応する商店の現状?京都・東山花灯路を例に?」

・志村正太郎(天理大学)
 「京都府木津町における民間巫女のライフヒストリー」

・菰方育美(関西学院大学)
 「大川家具の民俗誌」

・久後慧依(天理大学)
 「生駒のモリガミ信仰」

・岩間美保(佛教大学)
 「巫女神楽の現在?浪速神楽を事例として」

・岩?彩乃(奈良女子大学)
 「中山間地域の活性化―京都丹波・天引地区にみる課題と展望」

・ 小野絢子(天理大学)
 「水間八幡神社の祭祀組織―変遷と現状―」
 
・柴崎友江(ものつくり大学)
 「大道具の知識を得る方法についての研究」

・豊福啓人(関西学院大学)
 「土に込める―淡路瓦をめぐる生業と生活―」

・塚田なつみ(立命館大学)
 「京都市における建碑事業とその社会背景
  ―京都市教育会の史蹟表彰事業を中心に―」

第264回

日 時:2014年1月31日(金)
会 場:ウィングス京都 

発表者:ジョン ブリーン氏(国際日本文化研究センター教授)

論 題:変遷する聖地 伊勢―その戦後について
2017年 2016年 2015年 2014年 2013年 2012年 2011年 2010年 2009年 2008年 2007年 2006年 2005年 2004年 2003年 2002年 2001年 2000年 1999年 1998年 1997年 1996年 1995年 1994年 1993年 1992年 1991年 1990年 1989年 1988年 1987年 1986年 1985年 1984年 1983年 1982年
© 京都民俗学会 (お問い合わせ / プライバシーポリシー)