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談話会・年次大会の記録

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第34回年次研究大会

日時:2015年12月6日(日)
会場:京都市職員会館かもがわ


 第1報告 大久保京子(佛教大学大学院博士後期課程)
 「祟りからみる佐倉宗五郎伝承」
承応3(1654)年下総国印旛郡佐倉城主堀田上野介正信の圧政に籠訴した佐倉宗五郎が
妻と共に磔刑になって後、上野介夫婦に不運が続いた挙句、城地没収となった。
約百年の後、子孫の堀田正亮が老中就任と共に佐倉城に入封した際、
宗五郎の百回忌を行ったことを契機に、
以降堀田家では宗五郎の鎮魂行事を執り行うようになった。
佐倉宗五郎の伝承はこの頃成立した「地蔵堂通夜物語」を原作とした歌舞伎などから、
近世末期に広まっていった。
近世の百姓一揆の義民の伝承は、事件直後から書かれることが多いが、
佐倉宗五郎についてはそれに当たらない。
事件から百年の間、宗五郎の祟りはどのように捉えられていたのか。
また、祟りや怨霊になった人物は特に古代に集中するが、近世以降の祟りとは
どのようにとらえられていたのか。
人物が祟る例としては政治の中心となった人物が多いが、
名主であった宗五郎の祟りはどのような影響があったのかなどについて考察する。


 第2報告 木村裕樹(龍谷大学非常勤講師)
 「組合活動と聖徳太子信仰―東京の左官組合を事例として―」
東京都左官職組合連合会は明治16年創立の東京左官職組合を前身とするが、
事業者と労働者とが一体となっていたため、昭和21年GHQの指令で解散、
翌22年、東京都左官職労働者組合として発足したものである。
ただし、当組合は事業者の団体である東京都左官工業協同組合とともに、
上位団体である東京都左官組合連合会、社団法人日本左官業組合連合の傘下にあり、
相互に密接な関係を有している。
 当組合は職祖として聖徳太子を信仰し、とりわけ支部組織である中野支部と
世田谷支部は昭和30年代にそれぞれ新井薬師(中野区)と圓泉寺(世田谷区)に
聖徳太子像を奉献し以来、春と秋には両寺にて聖徳太子祭が催されている。
聖徳太子を信仰する組合員集団は組合の目的を達成するため、
さまざまな事業に取り組んできた。それは「以和貴」する遺訓の実践でもある。


第3報告 岡本真生(園田学園女子大学 地域連携推進機構)
 「「英雄」の奪還―楠木正成をめぐる地域の戦後―」
南北朝時代に活躍したとされる武将、楠木正成は、近代以降、天皇制イデオロギーを
背景としながら「発見」され、明治政府によって「偉人化」「神格化」が進められた。
その過程で、各地で「楠公さん」という名称を伴い、
神社や顕彰碑が建立されるなど盛んに顕彰活動が行われた。
しかし戦後、天皇制イデオロギー批判が進むなかで、
楠木正成に対する価値観は大きく変化することになった。
 では、かつて「偉人化」「神格化」された楠木正成は、
各地でどのように扱われるようになったのか。
本報告では、戦後から現在にかけての楠木正成をめぐる動向を取り上げ、
「英雄」に対する人々の認識の動態を明らかにする。


第4報告 近石 哲(神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科博士後期課程)
 「賽の河原祭祀にみる亡児供養と地蔵信仰
      −川倉賽の河原地蔵尊と今泉賽の河原霊場の事例を中心にして−」
仏教的に衆生(生あるもの)は、その業因により三界六道の迷いの世界を
輪廻するものだと説いている。
この六道(地獄道)の責苦を救済する職能(霊験)を持つ地蔵が「身代わり地蔵」等々と
変化し、民衆が篤く深く信仰する「地蔵民俗信仰」として広く流布され分布した。
民衆の中に生きる地蔵は、境界神(塞の神)や道祖神の祭祀場所に祀られた事から、
信仰の混淆や習合が生じた。その塞の神や道祖神は、
小正月などに子どもが祭りをする事から、地蔵も子どもとのかかわりを「地蔵盆」や
「賽の河原例大祭」の祭祀習俗へと展開するのが、
地蔵民俗信仰の特徴の一つであるという事が出来る。

篤い信仰をよせる地蔵であるが、時代の趨勢から無宗教層の増大や合理化、
また伝統的な民俗信仰行事の希薄化する一途が昨今の世相であるといえよう。
そのような世相の中で、地蔵の職能(霊験)である子どもを守る主尊として、
現在も供養祭祀が継承され盛行している地域があり、その一例として賽の河原例大祭がある。
賽の河原は全国的な分布を示す。
しかし、その実態は地域名称を示すだけや荒廃著しい賽の河原が見受けられる反面、
現在も信仰祭祀が盛行している地域がある。
以上のことより、青森県北津軽地方の賽の河原例大祭の事例から、
供養実態の特徴や亡児の霊魂観、地蔵信仰との関わりについて報告旁々ご教示賜りたい。


第5報告 岡吉君子
 「近世農村における宗教者の位相―隅田八幡神社社僧 六坊を事例として―」
和歌山県橋本市に現存する、隅田八幡神社。かつて多くの神社がそうであったように、
隅田八幡神社にも神宮寺と社僧が存在した。社僧は六坊と呼ばれ、
その名が表すように六軒の家から成った。
これまで社僧に関する研究では、その身分や権限が弱体化していく様子が
重点的に取り上げられ、生活を営む様子や弱体化するまでの様相が取り上げられることは
あまりなかった。
六坊が取り上げられた研究としては、国立歴史民俗博物館研究報告の第69号に掲載された
岩城卓二氏の「神社と近世社会」が挙げられる。
この研究では地域の住民との争論を経て、六坊が抑圧されていった経緯が描かれている。
この成果に加えて、彼らが経済基盤を形成していく過程と、
地域の住民との争いに巻き込まれる過程、抑圧された側面、そしてその打開策、
これらを文書に記された根拠に加えて現地調査や聞き取り調査の結果から考察する。


第6報告 市川秀之(滋賀県立大学)
 「村座考」
現在の宮座研究にも大きな影響を与え続けている肥後和男の宮座論の最大の特色は、
株座とならんで村座という範疇を設定し、これをも宮座のなかに含めたことにある。
肥後が村座を宮座に含めなければならなかった背景は昭和10年代の社会状況の中に
あったことについては以前論じたことがある
(市川「肥後和男の宮座論」『国立歴史民俗博物館研究報告』161)。

今回の報告で注目するのは「村座」という言葉である。
肥後は『宮座の研究』などのなかで村座はフォークタームであることを述べているが、
その例としてあげられているのは滋賀県竜王町の苗村神社文書の一例だけである。
発表者は昨年の苗村神社三十三年式年大祭の調査に際して、
同社の古文書を調査する機会を得たが、その際肥後が参照した文書についても実見した。
そこに記されていたのは神社境内にあった堂で行われる
村座という行事についてのことであり、
そこに参加するのは綾戸村の西座・東座の10人のオトナだけであった。

すなわち肥後が唯一典拠した村座の例は実は株座であったのである。
苗村神社の式年大祭および例年の祭礼の中心になるのは九村(くむら)と呼ばれる
組織である。ここでいう村は現在ではほぼ集落と重なり合うが、
近世の姿を見るとそれは座を意味している。
発表ではこれらの事例をもとに村座および村の意味について考えることとしたい。


第7報告 山中崇裕(佛教大学大学院)
 「盆の芸能にみる精霊祭祀と鎮魂―三遠信の踊りと念仏を中心に―」
奥三河の花祭や遠山郷の霜月神楽などで知られる三遠信地域には、
盆にかけても多様な芸能がみられる。しかし、その一連の盆の芸能は
「はね込み」や「放下」、「盆踊り」などが部分的に関心を集められており、
論じられてきた。そして重層的な盆の芸能が、先祖・精霊祭祀としてどのように成立し、
行われていたかなどに関しても曖昧なまま、
もっぱら鎮魂・供養の念を込めたものという理解に帰納しているように思われる。
しかし、この地域の盆の芸能は、神や精霊を迎え入れ、交流をしてその声を訊き、
鎮めて送り出すまでの重層的な祭祀であった。その祭祀においてイエ、
盆踊りの音頭取りや踊子、念仏衆などが果す役割はそれぞれ異なりながらも、
その諸芸能や祭祀が合わさり、この地域の盆行事の根幹をなしている。
本報告では、三遠信地域を考察対象として、盆の芸能と供養や祭祀の関わりを考察し、
そこから照射される自身の念仏芸能研究の成果と問題を検討したい。


第8報告 蘇理剛志(和歌山県教育庁生涯学習局文化遺産課)
 「高野山麓の盆踊りの現代―民俗文化財調査の成果から―」
平成24年度から26年度にかけて、和歌山県教育委員会により
高野山周辺地域の民俗芸能調査を実施した。
今回は、その中から盆踊りに関する調査成果を報告する。
高野山周辺の盆踊りは、「やっちょんまかせ」「やとや」など
甚句形式の伝統的な踊りが多数伝承されているが、その分布範囲は県境を越え、
高野〜吉野〜熊野地域にいたる紀伊半島山間部に広範囲にわたることが分かってきた。
一方、和歌山県伊都郡周辺では、昭和50年代以降、踊り子連の連合組織により
現代的な盆踊り大会が各地で開催され、伝統盆踊りを基礎にしつつ、
あくまで踊りを楽しむことを前提にした全く新しい踊りの輪が創出されている。
今回は、文化財保護の近接事例として、その地域的展開の状況を報告し、
この地域の盆踊りの未来について考えたい。

第283回

日 時 2015年12月5日(土)

会 場 京都市職員会館かもがわ 多目的室

シンポジウム「未発の葬墓制研究たち」
司会・コーディネーター 土居 浩
報告者 武田幸司(GIS・地価研究)/問芝志保(宗教社会学)/
    角南聡一郎 (民俗学/考古学)

趣旨:
今回、葬墓制に関連したミニシンポジウムの企画を構想する段階で、
まず念頭に置いたことは、拙稿(土居浩「日本民俗学の研究動向(2009-2011)葬送・墓制」
『日本民俗学』277号)の増補である。
もうひとつは、完成した研究の報告よりもむしろ、
萌芽的研究(あるいは、研究の萌芽)を組み入れることである。
その意味では、葬墓制研究がここまで深く緻密になったとの「進展」を示すよりも、
葬墓制研究は可能性としてこの方向にも展開しうるのではないかとの「伸展」を示したい。
そこで、いわば未発の葬墓制研究についてのミニシンポジウムを、
この未年末に催すことにした。

登壇者からは、以下のお話しをうかがう予定である。
武田幸司氏からは、マクロスケール(中部日本)で考察した現代の墓石事情について。
問芝志保氏からは、メゾスケール(札幌)で考察した近代の墓制事情について。
角南聡一郎氏からは、近現代の葬墓制研究事情について。
また土居も補足的に葬墓制研究事情を回顧し、議論に参加する予定である。


武田幸司氏「墓石の色境と色選択について」

JR全国走破を成し遂げた立場として、車窓からの風景を思い出すと、
墓石の色合いとしては、西日本にはグレーが多く、東日本に黒が多いという印象が強い。
この印象を確かめようと取り組んだ調査について報告する。

調査方法は、大阪駅を起点にして東に向かい、
主に東海道本線・中央本線・北陸本線の沿線に隣接する計1004墓地を訪れ、
それぞれの最寄駅ごとに黒い墓石の割合を集計した。
これに自然分類手法を用いて、どの駅間で墓石の色合いが大きく切り替わるのか、
つまり墓石の色境について特定を試みた。
また、同じく黒い墓石の建立年を府県ごとに集計し、
いつ頃から黒い墓石が選ばれるようになったのか、時間軸からの考察も行った。

これに、さまざまな現象の東西日本における境界と、墓石の色境を比べ、
墓石の色選択の要因についても検討を行った。


問芝志保氏「明治期札幌における近代墓制の受容」

本研究は近代化や都市化という大きな文脈のなかで墓制を捉える試みである。
明治期における墓や墓地の変容に関し、
従来の研究は国家政策と民俗の相克という事態に着目してきた。
しかし明治政府 の主眼はむしろ都市の墓地整備にあったといえる。
政府が構想した「近代的」墓制は、現場レベルではいかに具体化したのだろうか。
本研究は、近代化の先進地域といえる明治期札幌を事例とし、
行政資料や新聞記事等にもとづき墓制の展開を明らかにする。

明治初期札幌は、住民の流動性が高く、墓地は荒廃し大量の無縁墓が生み出されていた。
政府はこれを問題視し、定住促進のために近代的な共葬墓地を建設していった。
明治中期になり移住民の生活が向上すると、
中流以上の人々が衛生的で西洋的な墓地を積極的に受容、
無縁墓を撤去するなど 墓地管理への意識を高めていく。
そして彼らは札幌での成功を顕示するために高さ数メートルにもなる巨大な墓を建てた。
このように、近代政策をあるべき姿として受け取った人々によって、
先祖祭祀の中核としての近代墓制の定着・普及が促進されたと考えられる。


角南聡一郎氏「葬墓制研究のコンタクトゾーン
      ―モノとそれをめぐる諸関係を手掛かりとして―」

本発表では、民俗学/考古学における葬墓制研究のコンタクトゾーンを、
モノ (物質文化)とそれをめぐる諸関係を手掛かりとして探る。
そもそも柳田国男は初期に塚研究をはじめとして、葬墓制に関心を抱いていた。
対象には考古学も含まれており、これが最初のコンタクトゾーンと成り得るものであったが、
そうはならなかった。
その後、二つの学問が最も歩み寄ったのは、
1960年代から1970年代にかけての両墓制研究であった。
しかしながら、こうした蜜月は長くは続かず、
やがて両者はそれぞれの領域で葬墓制研究を展開していった。
この背景には、両墓制自体が廃絶し、フィールドが消滅していったことがあげられる。
では現在はまったくコンタクトゾーンは存在しないのかといえばそうではない。

仏教民俗学においては、五来重(五来 1992)や竹田聴洲(竹田 1971)といった
京都大学文化史学派に属する研究者は、
両墓制以外でもしばしば物質文化も射程にいれた研究をおこなった。
これは京都大学文化史学派の創始者である西田直二郎が、
欧米の民族学研究に影響を受け、物質文化に関心があったことと関係するものであろう。

両者になかなか接点が見いだせない理由として、次のような理由が考えられる。
考古学は近現代資料に対しての関心が薄いこと、
民俗学は物質文化に対しての研究が盛んではないこと。
これまでの研究史を振り返り発掘するならば、
いくつかの示唆に富む研究を見出すことができる。

一つは後藤守一の研究である。後藤の業績の一つに歴史考古学があるが、
その特色の一つに古代から近世までの墓制をまとめた『墳墓の変遷』がある(後藤 1932)。
同様の視点は既に石野瑛によっても提示されていた(石野1928)。

では民俗学の中でこのような長いスパンで葬墓制を考察した研究があっただろうか。
それは意外に少ない。その代表格は先述した京都大学文化史学派の研究者たちである。
それ以外にも、鹿児島の小野重朗や岡山の土井卓治による研究は(小野 1985、土井 1972)、
考古資料も含めて物質文化に着目しながらクロニカルに葬墓制を検討した
優れたものであると評価できる。

これらの諸研究を概観するならば、両者の接点の一つは近現代であることがわかる。
近現代の葬墓制に関連する物質文化やそれをめぐる諸関係を仔細に検討すること、
それが回り道のようで実は最短の両者のコンタクトゾーンへと辿りつく術かもしれない。

引用・参考文献
・石野瑛 1928『考古要覧』 東京人文社
・岩田重則 2003『墓の民俗学』 吉川弘文館
・小野重朗 1985『民具の伝承―有形文化の系譜下』 慶友社
・後藤守一 1932『墳墓の変遷』 雄山閣
・後藤守一 1937『日本歴史考古学』 四海書房
・五来重 1992『葬と供養』 東方出版
・斉藤利彦 2009「西田直二郎とヨーロッパ留学」
 『佛教大学宗教文化ミュージアム研究紀要』5 pp.25-57
・竹田聴洲 1971『民俗仏教と祖先信仰』 東京大学出版会
・土井卓治 1972『石塔の民俗』 岩崎美術社
・土井卓治 1997『葬送と墓の民俗』 岩田書院

第282回

日 時 10月30日(金) 
会 場 ウィングス京都 
    

発表者 湯 紹玲 氏(国立民族学博物館外来研究員) 

論 題 ムラの盆行事とイエの盆行事―滋賀県・三重県・福井県の事例から―
 
要 旨  
これまでの盆行事研究では、柳田國男をはじめ、
イエを主体とした盆行事を中心に論じられ、
地域共同でおこなわれる盆行事は排除されてきた傾向がある。
イエの盆行事研究では、現在に残存する民俗事象をもって、
過去の歴史形成過程を組み立てる方法が多かった。
しかし、それは推論が多くて、検証できるものは少なかった。
本研究はそれらの結論を検証するものではなくて、方法論を見直すことを目指している。

私は、地域共同でおこなわれる盆行事をムラの盆行事として理解し、
イエの盆行事の研究成果を検討し、ムラ・イエの盆行事研究を進めてきた。
本研究では、滋賀県、三重県、福井県を調査地とし、場所、時間、主体における
ムラ・イエの盆行事の近年の変化を明らかにしている。
盆行事の諸儀礼ではムラ・イエという主体は不変なものではなく、
この数十年の間にも相互交代する場合があることがわかった。
今回報告するものは博論の中軸となる部分である。

ムラの盆行事に関する資料が少ないため、ムラ人が共同でかかわるモノである
総位牌(三重県志摩地方)、精霊船(福井県若狭地方)を切り口として、
ムラの盆行事の祭祀対象の変遷およびイエの盆行事との関係を明らかにしたものである。

ムラ・イエの盆行事にかかわるモノに着目する方法は、これから進める
「日本の盆行事と中国の中元節との比較研究」にも活用したい。 

第218回

日 時 9月24日(木)
会 場 ウィングス京都
  
発表者 村上忠喜 氏(京都市文化財保護課)

論 題 無形文化遺産をめぐる10年―2005-2015―

要 旨 
現在は○○遺産全盛期である。
いつのまにか「○○遺産」は我々のすぐ隣にいて、あたかもずっと以前から
存在していたかのように振る舞う。
世界遺産と並んでもっとも「正統な」○○遺産であるユネスコ無形文化遺産も
同様である。
一昨年の「和食」の代表一覧表記載は、
無形文化遺産をより身近なものにしたといってよい。
一方、民俗学にとっての無形文化遺産は、
まだまだ捉えどころのない行政施策以上でも以下でもない。
無理解のまま進む現状の先には、より良い民俗学の未来は見えてこない。

今回のセッションでは、まず直近10年あまりの無形文化遺産をめぐる我が国の動向と、
何が議論されてきたかという話題を提供して、議論の素材としたい。
その上で、長く無形文化遺産と関わり、アジア太平洋地域の同施策の啓発に
関わってこられた大貫美佐子氏(独立行政法人国立文化財機構アジア太平洋
無形文化遺産研究センター)との対談形式で、日本民俗学が同施策にどのように
関与できるのか、また若手研究者のキャリアサポートになるのかなど、
フロアと自由に質疑応答するセッションとする予定である。 

第280回

日 時:7月10日(金)
会 場:ウィングス京都 2階セミナーA  

発表者:塚原伸治 氏(茨城大学人文学部・民俗学)

論 題:「伝統の「柔らかい拘束性」―民俗学における伝統論の可能性と課題―」

要 旨:発表者は2014年10月に
『老舗の伝統と〈近代〉―稼業経営のエスノグラフィー―』(吉川弘文館)を上梓した。
その執筆課題は、以下の2つに集約される。
それは、@老舗の人びとの日常的実践を、商慣習や家業継承などの側面から
明らかにすること、A人びとが「伝統とともに生きる」あるいは
「伝統を生きる」というのがどのようなことなのかについて経済・経営の領域に
焦点を当てて理解すること、である。
本発表ではまず、特にAについて、「柔らかい拘束性」と「想像された社会」を
鍵概念とする新しい伝統論からのアプローチを、拙著の内容とともに紹介する。
そのうえで、拙著では触れることができなかった点も含め、
その理論的背景などについて概説する。
最後に、ダン・ベン=アモス、ヘンリー・グラッシー、ドロシー・ノイズ、
エリオット・オーリングなどアメリカ民俗学の論者たちが蓄積してきた
伝統論の系譜にも適宜触れながら、民俗学における伝統論の新たな展開を議論したい。

第279回

日 時:2015年6月22日(月)
会 場:ウィングス京都 2階セミナーA

発表者:渡部圭一 氏(滋賀県立琵琶湖博物館)

論 題:祭祀組織の“近世化”過程:関東近世村落における宮座の事例から

要 旨:
関東地方にも宮座がある、というと奇矯に響くかもしれない。
だが近世期の関東の村落社会には、いわゆる宮座とみなせる祭祀組織が
意外に数多く存在する。
本報告では、関東近世村落における宮座の形成過程を報告し、
これまでの畿内・近国の惣村宮座を中心とする宮座研究の成果と課題を考察する。

報告者は最近、2つの株座の事例の調査機会を得た。
ひとつは茨城県土浦市田村町の「十六人当」、
もうひとつは同じく土浦市東城寺の「九社」という。
前者の成員は16軒、後者は9軒で、成員の家筋は固定されており、
順に当番(トウケ・トウヤ)を負担する。神事や宴席ではメンバーが
向かいあって列座する習慣もある。

まだ推論の域を出ないが、これらの祭祀組織に中世的な背景は乏しく、
おおむね近世前期(17世紀)の成立と考えられる。
また臈次階梯制に特有の年齢秩序が伴わない点を除けば、
中世的背景をあまりもたない関東地方においても、
複雑かつ厳密な成員規定をもつ祭祀組織は広く成立している。
こうした知見は、いくつかの点で、これまでの宮座研究の中心を占めてきた
畿内・近国の研究成果を相対化する契機となる。

畿内・近国の事例では、惣村の宮座が成立する中世後期が到達点と目され、
それ以降の変化や断絶が十分に問われてこなかった。
一方、ここに関東近世村落という比較の軸を持ち込む試みは、
臈次階梯制を発達させた惣村宮座を一つの地域類型として相対化しつつ、
同時に17世紀以降の日本の地縁社会のなかで、そうした東西の地域差をこえて
“近世化”していく祭祀組織の変動を明らかにすることに繋がる。

第278回

日 時:5月29日(金)
会 場:ウィングス京都 2階セミナーA

発表者:由谷 裕哉 氏(小松短期大学教授)

論 題:郷土研究・郷土教育が見出した能登の宗教と民俗

要 旨:
本報告では能登を事例とする住民サイドからの郷土研究・郷土教育に注目し、
そこに表出する当事者による郷土認識を宗教・民俗に絞って考察したい。
郷土認識の当事者性に着目するのは、2012年に角川学芸出版より上梓した
編著『郷土再考』を引き継いでいる。

郷土研究というと短絡的に柳田國男と結びつけられ、
1913年創刊の『郷土研究』誌あるいは柳田との個人的なコネクションによって、
ローカルな郷土研究が始まると捉えられることが多い。
しかし、能登、とくに口能登(羽咋・鹿島郡)では、1909年の嘉仁親王行啓に
うながされるように住民による郷土研究が盛んになってくる。
さらに、石川県内で柳田人脈によって民俗研究団体が設立されるのは
1937年結成の金沢民俗談話会であるが、
それ以前に能登における住民サイドからの郷土研究
(郷土教育に関わるテキストを含む)において、
フォークロア的な事象に関する言説が既に登場している。

本報告では、このように住民(当事者)によって見出された
能登の宗教・民俗を概観し、その再定位を試みたい。

第277回

日 時:4月28日(火)
会 場:ウィングス京都
     
発表者:小池 誠 氏(桃山学院大学国際教養学部)  

論 題:インドネシア・スンバ島における建築儀礼
    ―日本の神社建築との比較の試み 

要 旨: 
発表者は2007年度末から国立民族学博物館と竹中大工道具館との
共同プロジェクトとしてインドネシア東部に位置するスンバ島の中核村ウンガにおいて
慣習家屋(「マラプの家」、住居と「神社」を兼ねる)再建の記録化を進めた。
スンバ島は慣習家屋だけでなく絣織りや支石墓など
独自の地方文化をもっていることで知られている。
インドネシアのなかには、各民族に独自の建築様式が伝えられているが、
スンバ、とくにウンガは釘など近代的な工具を一切使わずに、
伝統的な建築技術をそのまま維持している珍しい地域である。
慣習家屋の建築とそれに付随して執行される様々な儀礼を映像記録に留めておくことは、
大きな意味がある。
本発表では、2008年10月に実施された「大きな家(Uma Bakulu)」建築の
全工程を記録した映像作品「マラプの家」(約22分)を観た上で、
建築儀礼に焦点を当て、その要点を明らかにしたい。
とくに主柱(木曳きから柱立てまで)の宗教性と、
マラプ(祖霊、日本の「神」に相当)と、その依代の移動に注目して、
日本の神道式の建築儀礼との比較を試みたい。

第276回談話会(第2回修論報告会)

日 時:2015年3月29日(日)
会 場:京都市職員会館かもがわ
     

第1報告 
       岡田裕美(関西学院大学大学院文学研究科)
      「物質文化としての盆灯籠―広島市とその周辺を事例として―」

第2報告
       水野華織(滋賀県立大学大学院環境科学研究科)
            「つきあいをもとにした伊庭ムラのつきあいネットワークの変遷に関する研究
              ―村田家を中心として―」

第3報告
       佐藤弘隆(立命館大学大学院文学研究科)
      「都市祭礼の継承と運営基盤に関する研究―京都祇園祭の山鉾行事を事例として―」

第4報告
       谷岡優子(関西学院大学大学院社会学研究科)
            「地方花柳界のゆくえ―マイコ(舞娘・舞子)の前景化を中心に―」

第275回談話会(第6回卒論報告会)

日 時:2015年3月7日(土)
会 場:佛教大学 1号館4階 420教室 

第1報告  
            宮澤早紀(佛教大学歴史学部)
           「青ヶ島の社会とシャーマン」

第2報告  
            嶋田 栞(奈良女子大学文学部)
           「産怪考」

第3報告  
            出口絵莉子(関西大学文学部総合人文学科)
           「式台を持つ民家―その使用方法と規模から―」

第4報告  
             金原 泰(関西学院大学社会学部)
           「部落に生きる造園業―X市Y地域植木圃場の生業と闘争―」

第5報告  
             八ツ代 真一郎(ものつくり大学・技能工芸学部・建設学科)
      「解体屋の現代史―1980年代以降を中心に―」

第6報告  
       三隅 貴史(関西学院大学文学部)
           「地方祭礼維持のための祭縁の活用
             ―日和佐八幡神社秋季例大祭を事例として―」

第7報告  
             河野史弥(佛教大学歴史学部) 
           「盛り場における場所のアイデンティティ―京都木屋町の風情を事例として―」

第274回

日 時:2015年1月23日(金)
会 場:ウィングス京都

発表者:金田久璋 氏(日本民俗学会会員(評議員)・日本地名研究所評議員・
                     福井民俗の会会員(顧問)・若狭路文化研究会会長・
                     福井県文化財保護審議会委員・元敦賀短大講師)

論 題:餅なし正月に見る狩猟儀礼と農耕文化

要 旨:
当初、標題を「餅なし正月に見る狩猟から農耕へ」としたものの、
あまりに身の程知らずな過大で過激な意図を含んでいることに気づき、
あらためて「狩猟儀礼と農耕文化」と訂正した。
とはいえ、単なる口承文芸や食物禁忌、食習に関わる習俗を、
「稲作文化と畑作文化との葛藤に餅無し正月の起源を求める考え方が提出され
注目を集めた」(安室知執筆『日本民俗大辞典』)、
その提唱者は故坪井洋文氏であり、稲作文化を主眼とした単一民族文化論への
ラジカルな批判を含んでいたことはよく知られている。

目下、坪井氏の提言を受け、福井を中心に全国レベルでの調査を継続しており、
各種の事例の中に稲作禁忌、特に陸稲の禁忌が見られることや、
八頭(里芋)の儀礼食にも注目し、更に「餅の的」と呼ばれる、
『山城国風土記』『豊後国風土記』に見られる「狩猟儀礼」が
今なお大隅半島で行われていることに衝撃を受けてきた。
本会では現時点での調査研究の経過報告として貴重な発表の機会を頂き、
ご批判を頂ければ幸いである。
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