2017年

第36回年次研究大会

日 時 2017年12月10日(日)9:30-17:25

会 場 京都市職員会館かもがわ(京都市中京区土手町通夷川上る末丸町284)

発表要旨
第1報告 東城 義則 氏(国立民族学博物館外来研究員)
「猟友会の民俗誌―狩猟組織の検討-」
本報告では、日本国内の多くの狩猟者が所属している地域猟友会について、
その性格と活動内容を検討する。
民俗学の狩猟研究は、柳田國男による『後狩詞記』以来、
狩猟の伝承や儀礼を中心に研究されてきた。
1980年代以降になると、生態人類学の影響を受けるかたちで、
新たに狩猟の民俗知や民俗技術を主題とする研究がおこなわれるようになった。
さらに近年では、野生鳥獣の人里への進出による農林業被害や、
市街地への進出に人身被害といった社会的課題に対して、
民俗学の知見を用いて、被害の原因を検証し、
対策を提案する応用的研究も取り組まれるようになった。
このような民俗学の狩猟研究の動向をふまえ、
本報告では都道府県猟友会の下部組織にあたる地域猟友会の活動をとりあげる。
具体的には、北海道オホーツク総合振興局管内西紋地域の地域猟友会を事例に、
猟友会の動向を民俗誌の方法によって検討する。
本報告ではこうした検討をおこなうことで、地域社会における狩猟に対する考え方や
野生鳥獣による被害・事故に対する認識といった現代の狩猟に関する実情を、
民俗学の立場から対象化することを試みる。

第2報告 山田 貴生 氏(播州三木明石町青年団OB、播州三木明石町屋台奉舁会警戒係)
「播州の鬼と神輿と屋台」
中世から江戸前期にかけての播州の祭は、迎講や鬼追などが広く行なわれていた。
播州の鬼追いは、藤原(旧姓・小山)貴美子氏が指摘するように、
限られた家の者によって行なわれる祭であったこと、
退治されるものではなく来迎する仏の化身として鬼が存在することが特徴となる。
鬼が来迎して再びあの世に戻る姿は、現世ーあの世を行き来する仮面儀礼としての迎え講と共通する。
このような来迎儀礼を行なう寺院や神社において、
江戸中期ころから末期にかけて神輿と屋台を伴う祭が盛んに行なわれるようになる。
これらの祭は、限られた者による祭ではなく、
神社の氏子域の多くの者によって支えられることになった。
しかし、その神輿や屋台の祭が行なわれるようになった由来や儀礼の形態は、
鬼の祭の影響をうけたものであった。
鬼の祭を下地にあったからこその、播州の屋台、神輿の祭をいくつかの事例をあげて紹介する。

第3報告 米山 弓恵 氏(京都学園大学大学院人間文化研究科文化研究コース修士課程2年)
「開拓伝承と藁蛇神事-民俗地理学的視点から-」
神々による国土創造を説明する開拓伝承は、全国各地に20ほど流布する伝承である。
そのうち、兵庫県豊岡市に伝わる開拓伝承には、開拓の際に行われた大蛇退治が、
かつて但馬一帯で行われていた祭礼に繋がっていたと記録されている。
その祭礼とは、旧暦8月1日(八朔)、大蛇に見立てた藁綱を引き合い引きちぎるというもので、
綱が切れると大蛇を退治したことになるという。
(以下、このような藁蛇を伴う祭礼を藁蛇神事と呼ぶ。)
現在、但馬一帯で確認できる八朔における藁蛇神事は、兵庫県養父市八鹿町の1件のみである。
しかし、周辺地域である京都府舞鶴市や鳥取県米子市、島根県益田市では現在も行われている。
ちなみに、今回取り上げる事例は八朔と繋がる場合の藁蛇神事であるが、
繋がらない場合もあるということは留意しておきたい。
以上を踏まえて、本報告では、兵庫県養父市八鹿町の事例を中心に、
八朔に行われる藁蛇神事について紹介する。

第4報告 石川 秀男 氏知多市歴史民俗博物館(知多市教育委員会)
「知多市の講」
知多市教育委員会では、平成25年度から3年かけて市内に現存する「講」の調査を行ってまいりました。
講とは「ある目的を達成するために結ぶ集団」を指すとされていますが、
その形態は様々で、宗教的・経済的・社会的などあらゆる側面を内包しつつ、
常の生活の中で「あたりまえにあるもの」として受け継がれてきています。                    「かつてはそんなことやっていた・・・」との噂も聴く中、調査を進めていくうちに、
人知れず寄り集まって細々と続けているものが意外と多くあることが分かってきました。
今回の発表では、存在を推定した講82件のうち、
現地調査・聞取り調査に関わったものの中から数件の事例を紹介します。(発表予定)               御嶽神社平開講                                               絹屋山の神講                                                奥組念仏講                                                 善光寺講                                                  古見青峯講

第5報告 中原 逸郎 氏(京都楓錦会)
「ハレとケの間に関する試論-京都北野上七軒を中心に」
ハレとケの概念は柳田国男が提唱し、日常と非日常の時間的分離を示し、
その後桜井徳太郎や波平恵美子の提唱があった。
しかし、ハレが祭りや特定の儀式に伴い、華やかな衣装の着用や豪華な食事を伴うとしても、
実は神等超然たる存在に対する恐れを根本とし、儀式を行うことで神に許しを請い、
権威・権利を得るための義務感を伴うものではなかったか。
そして、ハレからケの世界への回帰を取り持つ空間が必要となり、
その一つとして、花街が寺社の近傍に発達したのではないか。
つまり花街は、ケの世界への回帰を取りもつものと定義づけでき、
それらは各地方固有の民俗と密接に関係したものであると考えられる。
そのため、京都最古と呼ばれる北野上七軒花街(上京区)のおもてなしの実態を捉えてみたい。

第6報告 武笠 俊一 氏
「柳田国男の女性史学の原点-新体詩の恋-」
若いころの柳田国男が「恋の新体詩人」として活躍していたことは
良く知られている(『野辺のゆきゝ』明治30年、その他)。
彼の新体詩に歌われた恋人は誰か。現在では岡谷公二が唱えた
「布佐の少女いな子説」が大方の賛同を得て通説となっている。
その証拠として、①花袋の初期小説群、②岡谷の現地調査による
「伊勢いな子」の実在の確認、③国男の田山花袋宛書簡の発見、などが挙げられてきた。
しかし、これらは確実な証拠ではない。
小説と書簡を詳細に検討すると、そこには「いな子説」を否定する証拠が
いくつも見つかるからである。
また、「野辺のゆきゝ」の中にも、この詩集が「いな子を歌ったものではない」と言う
決定的な証拠がある。 
では新体詩に歌われた恋人は誰だったのか。
その人は国男のごく身近かにいて類いまれな虹彩を放っていた。
「賢しさと気高さ」を兼ね備え得意の絶頂にあったその女性の姿こそ、
柳田国男の女性史学の原点であった。

第7報告 倉田 健太 氏(総合研究大学院大学文化科学研究科国際日本研究専攻)
「イベントを契機とする神社祭礼の興隆とその現状-香川県坂出市の太鼓台を事例に-」
本発表では、「太鼓台」と呼ばれる屋台を用いた、香川県坂出市の「坂出八幡神社秋季例祭」と、
夏に行政が企画・開催する「さかいで大橋まつり・太鼓台競演」を事例として、
奉納物である太鼓台がイベントで使用されることを契機に、大型化をともないつつ台数を増し、
それが神社祭礼へと還元され、興隆してきたなかでの現状を論じる。
1986年より催されるようになった太鼓台競演と呼ばれるイベントでは、各神社の垣根を越え、
坂出市内で奉納される主な太鼓台が集い、各太鼓台がその絢爛さを他に誇る、
一種の競争意識を芽生えさせる場となり、
この場での競争に触発されて新たに、あるいは再び太鼓台を所有する地区が生じてきた。
そして、これらの動向にともなう還元と興隆が最も顕著にみられたのが、
坂出八幡神社の秋季例祭となる。
ただ、神社祭礼に関わるイベントは概して、
神事面への意識の希薄化を争点に浮かびあがらせる一面をもち、
その現状を本発表の事例にそくせば、太鼓台奉納の意義への意識差として
現れていることを述べられる。
この現状のもとで、いかに当該地域の祭りが実践されているのかをみることは、
祭礼研究において再三論じられてきた「イベント/神事」の二項を重複させている
祭りの現在を考察するうえでも意義がある。

第8報告 大久保 京子 氏(佛教大学大学院文学研究科日本史学専攻博士後期課程3回生)
「百姓一揆と義民信仰」
近世期に発生した百姓一揆や騒動の終結後、犠牲になった代表的な人物を義民と呼んで弔った。
その後現代に至るまで、仏事を地域の行事として続けている地域もある。
義民の仏事は、犠牲者の供養と鎮魂であると同時に、地域の結びつきを確認するものでもある。
また、神社に祀られる佐倉惣五郎などは、
騒動後100年以上経って歌舞伎や芝居になることで全国的に知られるようになり、
縁のない土地で信仰を集めている。
今回の報告では、各地で残り続ける義民信仰の事例を紹介し、
その成り立ちと義民信仰の広まりについて検討する。

第9報告 孫 嘉寧 氏(北海道大学文学研究科博士後期課程)
「吉備津神社鳴釜神事と桃太郎昔話・温羅伝説から見る地域の「歴史の語り直し」に関する考察」
桃太郎の昔話にはいくつかモデルとされる土地及び伝説があり、
古来吉備と呼ばれる地域と温羅伝説がその一つである。
崇神天皇が日本各地に遣わした四道将軍の一人である吉備津彦が桃太郎の原型と言われ、
吉備の地で平定された温羅が鬼とされる。
温羅とは、製鉄技術を携えて朝鮮・大陸から移住し、
吉備の新山に居城を築き一帯を治めていた集団の首長の象徴とする説がある。
温羅伝説では鳴釜神事に関する語りが鬼退治に続く。
温羅の妻、阿曽女が神饌を炊き神事の中心的役割を果たす。
鳴釜神事の最古の文献記録は『多聞院日記』に遡ることができ、
以降、縁起社伝類に複数の記述が見られる。
御釜殿の火は途絶えずに焚かれており、今日でも日々神事に備えている。
本発表では、まず、文献記録をまとめた上で、鳴釜神事が実際に行われる様子を紹介する。
そして、吉備の位置付けや鬼ヶ城の主人などの問題と連動して、
≪御釜殿巫女である阿曽女≫と≪吉備津神社の神主≫、≪桃太郎・吉備津彦≫と≪鬼・温羅≫、
≪製鉄渡来集団≫と≪吉備の在地集団≫と≪天皇・中央政権≫ といった複数の対立項を見ていくと、
幾重ものねじれと反転と和解の関係が浮かび上がってくる。
本発表では、伝説群に語られてきた錯綜する重層な対立関係を考察し、
ローカルな歴史が不断に語り直されている様を明らかにする。
そして、伝承は「繰り返し」の経験を「重ね描き」した歴史・物語であり、
幾度もの衝突と収拾が一つの語りに収斂され、
構造化した物語はまた出来事に解釈の枠を与えることを指摘して、
伝承と出来事の再帰構造を分析する。
今日、桃太郎昔話・温羅伝説群には、
吉備津彦・温羅というローカル化したヒーローの「両義性」が見られ、
対立する人物像の同一性がねじれの裏に語り継がれている。
さらに、温羅伝説の語り直しに伴い、
観光や地域振興における「鬼」イメージやキャラクターの利用が盛んとなり、
地元では「鬼・温羅」に対する愛着と独自の解釈に基づく広報とイベントが行われ、
それに依拠する地元アイデンティティの再構築が見られることを指摘する。

第10報告 日比野 光敏 氏(京都民俗学会)
「江戸握りずしの末裔としての、伊豆・小笠原諸島の島ずし」
江戸の握りずしは江戸後期の文政年間、江戸の下町で、
商売にするために発明されたといわれている。
その当時のすしの具材は、今のように刺身を乗せるのではなく、
塩や酢でしめたり、ゆでたり焼いたり、という下仕事がしてあるものであった。
そのひとつにヅケ(しょうゆ漬け)の技法がある。ヅケはすしの色を悪くするとして、
すし職人からは敬遠されたが、保存性は高かった。
さて、伊豆諸島南部から小笠原諸島、ならびに沖縄県の大東諸島には、
島ずしという握りずしが分布する。
特徴のひとつは具にする魚をしょうゆ漬けにすることで、
これを筆者は江戸時代の握りずしの末裔だと推定する。
発表では双方のすしの共通性のほか、江戸・明治期の伊豆・小笠原の開拓事情などから、
両者の関係を論ずる。
とともに、これら島しょ部の島ずしには、江戸とは違った価値観があった。
従来、取りざたされることのなかった島ずしの特性についても見ることにする。

第302回

日 時 2017年12月9日(土)13:30-17:00

会 場 京都市職員会館かもがわ(京都市中京区土手町通夷川上る末丸町284)

論 題 パネルトーク「戦国武将のフォークロア―歴史の再説にどう向き合うか―」

開催意図
歴史上の人物にまつわる逸話は、時代を超えて人びとの関心を惹き
多彩に語り継がれてきました。
現代においても、それは時に関連する地域の伝承などとして出現し、
あるいは小説や映画など様々なメディアを通じて拡散され、
新たな生命を吹き込まれた物語として人びとの前に姿を現してきました。
例えば近年ブームなどとして顕在化する戦国武将にまつわる語りは、
それが現代社会における人びとの歴史事象の捉え方のひとつであることを
示しているともいえるでしょう。
この現象に対して、民俗学はどのように向き合うことができるでしょうか。
次回の京都民俗学会談話会では、歴史の再説の現場に身をおき、
思考を重ねてきた3人のパネリストをお迎えし、
「戦国武将」をテーマに、
民俗研究の立場からトークを繰り広げてみようと思います。

パネリストによる話題提供
室井康成氏(建築資材販売業)
「『おんな城主・直虎』問題-新たな戦国武将像の生成現場に遭遇して-」
本報告では、NHK大河ドラマの放送を契機に出現した新たな伝説や
種々のイベントに突如直面することになった報告者の経験から、
フィールドとの距離感や史実性の担保、民俗学者の立場性について考えてみたい。

及川祥平氏(川村学園女子大学文学部専任講師)
「戦国武将は誰のものか―武田氏をめぐる動きを手掛かりに」
戦国武将の物語を民俗学の立場から考える場合、
重視すべきは人びとの受容や体験のあり方と思われる。
本報告では武田家家臣末裔の組織の活動や、
長篠古戦場を史蹟として有す新城市の状況を取り上げ、
戦国武将のフォークロアをめぐる論点の洗い出しを試みたい。

橋本 章氏(京都文化博物館)
「姉川合戦をめぐる物語の成立と史実―信長・家康・長政の英雄譚から―」
戦国武将が活躍した合戦は、近世近代を通じて脚色され
壮大な「いくさ物語」として語り継がれてきた。
本報告では姉川合戦を題材に、その物語の変遷過程と現状について述べる。

司 会
・岡本真生氏(関西学院大学大学院社会学研究科博士課程後期課程)

第301回

日 時 2017年9月28日(木)
会 場 ウィングス京都

発表者 磯部 敦氏(奈良女子大学)・近代日本出版史

論 題 「澤田四郎作の営為ー澤田文庫等の調査から見えてきたことー」

要 旨
澤田四郎作(1899~1971)。
医者(小児科医)にして民俗学者。
近畿民俗学会(前身は大阪民俗談話会)の創設者。
同会の雑誌『近畿民俗』を運営する編集者でもあり、
自著『ふるさと』や『五倍子雑筆』などを自ら出版する発信者でもあった。
学問交流の場として開放した自宅には方々から研究者が集い、
柳田國男や渋沢敬三、折口信夫らとの交流とも相俟って、
宮本常一をはじめとする研究者を育てあげた。
いわば澤田は媒介者であり育成者でもあった。
奈良女子大学文学部なら学研究会では、こうした澤田の多面性を検証するべく、
大阪大谷大学澤田文庫、遠野市立博物館、澤田家が所蔵する澤田四郎作旧蔵資料の調査を
おこなっている。本発表では、
(1)これまでの調査の報告、
(2)交流という側面からの旧蔵資料群の評価・検証、
(3)澤田の発信者としての特質を自費出版という側面から検証してみたい。

第300回(日本民俗学会第69回年会プレシンポジウム共催)

日 時 2017年7月30日(日)13:30-17:00
場 所 佛教大学二条キャンパス(京都市中京区西ノ京東栂尾町7)

プレシンポジウム
「山・鉾・屋台行事」の意味論/政治論
―京都で考える民俗学のかたち―

趣旨説明・進行 村上忠喜(京都市歴史資料館)、島村恭則(関西学院大学)
パネリスト 橋本章(京都文化博物館)、福間裕爾(福岡市博物館)、
      岡田浩樹(神戸大学)、菊池健策(東京文化財研究所)
コメンテーター 俵木悟(成城大学) 

趣旨
昨年12月、33件の国指定民俗文化財が「山・鉾・屋台行事」として、
ユネスコ無形文化遺産の代表一覧表へ記載されることが決定した。
いずれも大規模な都市祭礼であり、推定十万人以上の人々が直接関与する。
さらに国内には、この33件以外にも、
推定1300件を超える山・鉾・屋台が登場する祭礼がある。
それらの多くは、地域における結衆の表象、文化財としての保存の対象、
地域産業の見本市であり、地域権力が投影される対象でもある。
民俗学の古典的研究とも通じ、かつ現代的な研究意義も濃厚に有する
山・鉾・屋台行事を素材に、意味論的地平と政治論的地平で分析し、
民俗学が持つ有為性をどのように描き出せるか試みたい。

第299回

日 時 2017年7月6日(木)
会 場 ウィングス京都

発表者 芳井敬郎氏(京都民俗学会会長)

論 題 都市民の民俗動向と心意ー悪所への視点からー
                 
要 旨
都市における芝居や遊廓を指して悪所といわれてきた。
両者の内、後者は売春防止法施行により消滅したが、
それに類する施設は現在でも歴然と存在し、都市社会に存在感を見せている。
そのことは農村社会とは一線を画するものと捉えられてきた。
それは都市で生み出された独特の情景を持つためである。
しかし、遊廓利用の第一義は主に男女が感情を高揚させ、性の関係を持つことにあるが、
農村にも伝統的にその機会は設けられていた。
農村と異なるのは常時、設けられていたことである。
そこで都市民の要求を満たす遊廓のシステムを詳細に論及すれば、
都市民俗の構造と本質を明らかにすることが出来るのではないだろうか。

第298回

日 時 2017年5月26日(金)
場 所 ウィングス京都

発表者 金 セッピョル 氏(国立民族学博物館 外来研究員)

論 題 新しい葬送儀礼における反商業主義を考える:自然葬を中心に

要 旨
本発表は、反商業主義の下、非営利法人「葬送の自由をすすめる会」
(以下、「すすめる会」)が提唱した自然葬が
いかに構成されてきたかを明らかにするものである。
1991年に発足した「すすめる会」は、既存の葬送儀礼のあり方に対抗する理念として
「死後の自己決定権」を掲げ、その結晶として「自然葬」、つまり海、山などに
粉末化した焼骨を撒く葬法とそれに付随する儀礼を実施・推進してきた。
彼らは「死後の自己決定権」の一環として個人の意思を疎外させる商業主義を批判しており、
それは散骨を行う葬儀業者と自らを区別しようとする試みとして現れている。
このように反商業主義を掲げる自然葬および1990年以降に登場した新しい葬送儀礼は、
商業的な葬儀産業とは区別され、研究上においても別途で議論されてきた。
しかし反商業主義は産業化に対するアンチテーゼであると同時に、
それを裏返すと産業化の一環として捉えることもできる。
本発表では新しい葬送儀礼における反商業主義を相対化し、
葬儀産業研究との接点を探りたい。

第297回

日 時 2017年4月28日(金)
場 所 ウィングス京都

発表者 河原典史氏(立命館大学文学部教授)

論 題 研究成果を還元する
    ―『東宮殿下御渡欧記念・邦人児童写真帖』の復刻から考える―

要 旨
1921(大正10)年、当時の東宮殿下(後の昭和天皇)の渡欧を記念して
同年5月にカナダ・バンクーバーで、
『金田之栄-東宮殿下御渡欧記念・邦人児童写真帖-』(以下、『写真帖』)が
発行された。日本への訪問団の設立に合わせて、この写真帖の発刊が計画された。
日本語新聞『大陸日報』誌上に購入と撮影の予約が掲載され、
各地への出張撮影が行われた。
渋沢栄一、添田寿一や阪谷芳郎の題辞・序文を収めた『写真帖』は、
皇太子殿下の御渡欧を機にカナダ日本人移民の今後の発展を期待する企画だった。

『写真帖』の復刻では、解題だけでなく、収められた259家族・545人について
氏名・父親の名前・出身地などのデータベースを添えた。
それは、検索がしやすいように50音順に並び替えた。
さらに、カナダ日本人移民の子孫をはじめ、日本語の読解が困難な人にも
活用できるよう英語でもデータベースを作成し、アルファベット順に並べた。
これによって、日本人をルーツに持つカナダ人に
ファミリー・ヒストリーを描く一助となる。
つまり、研究成果を還元するのだけではなく、
資料の復刻によって歴史は直接的に還元されるのである。

第296回談話会(第4回修士論文報告会)

日 時  2017年3月25日(土)11:00-16:50
会 場  京都市職員会館かもがわ

第1報告 水野孝哉氏(佛教大学大学院文学研究科)
     「「中世王権神話」としての『玉藻前物語』―文明二年本を中心として―」
「玉藻前」という物語がある。これは、南北朝時代より江戸時代前期頃にわたって作られ続けてきた物語群とされる、
「室町物語」に属するものである。この物語では、狐の変化した美女である玉藻前を軸にして、
彼女による「王位」の危機と、これを退治する陰陽師と武士の活躍が語られる。

本稿では、この物語における狐の霊威、陰陽師・武士の活躍、王位についての記述が、
室町期の時代状況の中でどのような意味をもち、何を語っているのかに注目し、
文明二年(1470)書写の奥書をもつ赤木文庫本『玉藻前物語』を、王位が永続していくことを保証する
新たな起源を語っている「中世王権神話」として読み解いていく。
その分析の結果、中世王権神話としての『玉藻前物語』の特徴は、仏教の力や狐の霊威と合わせて、
陰陽師と武士の力によって王位が支えられているということを強調して示すという点にあることが明らかとなった。
陰陽師や武士の興隆という室町期の現実の姿について、その起源を『玉藻前物語』が神話的に語っているということ、
またこれこそが室町期の特徴であると説いているということが、ここから読み取れるのであった。

『玉藻前物語』に限らず、このような立場で物語を分析することは、眼前の現実を説明するための起源を、
その物語がどのように語っているのかについて読み解くということである。
そうした神話としての語りを捉えていくことで、当時の現実において何が重要であると意識され、
強調されているのかということが明らかにできる。中世王権神話から見えてくる歴史性の問題が、
ここから問われるようになるのである。
本稿は、中世王権神話として『玉藻前物語』を読み解くことで、
「玉藻前」研究や神話研究のもつ更なる可能性の一端を明らかにしたものである。

第2報告 小林孝夫氏(佛教大学大学院文学研究科)
     「祇園祭における休み山の復興」
毎年7月に京都市で行われる祇園祭は日本を代表する都市祭礼であり、
中でも17日と24日には合わせて33基の山鉾の巡行が行われ、広く知られた行事となっている。

この33基の山鉾はいずれも戦国時代以前からの長い歴史を持っているが、
そのすべてが現在まで継続して巡行を行ってきたわけではない。
このうちの5基は幕末の元治大火で山鉾を失ったことなどにより巡行を休み、
第二次世界大戦後に至っても巡行を再開できない「休み山」の状況が続いていた。
この5基の山鉾(菊水鉾・綾傘鉾・蟷螂山・四条傘鉾・大船鉾)は1950年代から2014年までの間に山鉾を再建し、
ほぼ1世紀ぶりの復興を遂げた。また現在も2基の休み山(鷹山・布袋山)があり、
鷹山は近く再建され34基目の山鉾として巡行に復活する見通しである。

修士論文ではこれらの休み山の復興に大きく影響した要因を明らかにすることを目的とし、
まだ先行研究の見あたらない大船鉾と鷹山も加えた6基の山鉾を対象に、
各々の復興プロセスを共通の項目や指標を用いて検証し、特色や共通点、抱える課題などの抽出を行った。

この結果、昭和後期の休み山復興への京都市の観光行政の関与、大船鉾復興と後祭復活構想との関連、
早期に囃子を復活させることの重要性、が明らかとなり、これらを中心に考察を行った。
また検証過程で浮かび上がった、6つの町内間での祭を支える体制の著しい格差から、
居住地にこだわらない人材確保が必要であることを提言した。

今回はこの修士論文に沿って、休み山の復興プロセス、および影響した要因を中心に、発表を行う。

第3報告 三隅貴史氏(関西学院大学社会学研究科)
     「神輿会にみる祭礼の「美学」―東京・京都の事例から―」
本発表では、現代の祭礼において、一つの「美学」が共有・実践されることによって、
複数の祭礼における表現文化と祭礼に関わる人びとの価値観が共通化する現象を指す
「祭礼の共通化」現象が進行していることを論じるものである。
そのためにまず、東京圏の「神輿会」を事例として、東京圏で進行している「祭礼の共通化」現象について報告し、
その上で、近年神輿会の発展が著しい京都圏においても、「祭礼の共通化」現象が見られることについて言及したい。

東京圏の祭礼において共通化するに至った「江戸前」の美学とは、「自分達が楽しむための美学」、
「地域/神を楽しませるための美学」の二つの要素から構成されるものである。
これは、1960年代後半の三社祭における「鳶のスタイルや価値観」を神輿会の成員が「発見」し、
模倣したことによって原型が生まれた。そして、1970年代の神輿会の拡大によって定着し、
洗練されることで現在の姿になった。また、これらの「江戸前」の美学が、神輿会によって周辺地域で実践されることで、
周辺地域の祭礼には、運営技術の熟達・相互学習の進行、青年部の「神輿会化」、
神輿会に対する対抗という3点の変化がもたらされた。

これまでの都市祭礼研究においては、一つの祭礼に注目してきたため、
複数の祭礼による影響の与え合いに関しては、主要な研究対象となってこなかった。
しかし、「祭礼の共通化」を前提とした上で都市祭礼の研究を行なうことも、
現代の都市祭礼の変化を扱う上では重要だろう。

第4報告 吉村綾子氏(佛教大学大学院通信教育課程文学研究科)
     「近世大名家における誕生と育児―『加藤家文書』を通して―」
本稿は、大名石川家における子どもの誕生と育児について検討している。
近世における子どもの誕生と成育に関する研究は進められてはいるが、
共通するのは、史料が比較的豊富な上級武家について明らかにされている点である。
石川家は六万石を所領とする譜代中小大名で上級武家には及ばないが、
家臣であった加藤家に一万点以上の史料(加藤家文書)が伝わっており、多数の近世文書が残されている。

本稿では、加藤家文書の中でも寛保三年と延享四年に記された二冊の『御内証御用案文帳』を中心に用いている。
この史料は、石川家が備中国松山城から伊勢国亀山城へと転封する時期と重なっており、
それぞれの国元における城の御部屋に住む妾や、そこで生まれた子どもたちの様子を中心に、
また御部屋で勤める女中などについて書かれている。
つまり城内の中でも、いわゆる私邸での日々の出来事が書き綴られている。

二冊の案文帳とその他の史料を丹念に読み解くことにより、
これまで解明されていなかった大名石川家における子どもの誕生と育児について明らかにしている。
論文では、三章にわたって石川家や史料の概要、城内の御部屋における出産や育児、
そして出産や病に対する医師や祈祷のかかわりを論じているが、報
告では特に第二章でとりあげた取揚祖母や腰抱といった助産をする人々、
乳付や乳持といった育児に関する人々について中心に述べたい。

第295回談話会(第8回卒業論文報告会)

日 時  2017年2月26日(日)
会 場  立命館大学衣笠キャンパス 清心館2階525号教室
        
第1報告
橋本佳奈氏(立命館大学文学部)
「太平洋戦争以前のバンクーバーにおける日本人移民の医療活動ー医師と助産婦を中心にしてー」

第2報告
千葉 唯氏(佛教大学歴史学部)
「ザシキワラシ伝承の伝播と変容」

第3報告
土井隆志氏(滋賀県立大学人間文化学部)
「虫送り行事の変容―滋賀県蒲生郡竜王町の虫送り行事を中心に―」

第4報告
中村優花氏(関西学院大学社会学部)
「都市修験の民俗誌―名古屋市・倶利加羅不動寺の事例―」

第5報告
大川内麟太郎氏(ものつくり大学技能工芸学部)
「ローカルヒーローのマスクにみる技術進化」

第6報告
蓮田佳菜絵氏(関西学院大学社会学部)
「蔵の民俗誌―大阪市鶴見区旧古宮村の事例―」

第7報告
分部敬多氏(滋賀県立大学人間文化学部)
「愛宕山をとりまく地域の信仰と生活」

第8報告
大上将汰氏(佛教大学歴史学部)
「鮭と人の関わりをめぐる民俗研究」

第294回

日 時 2017年1月20日(金)
場 所 ウィングス京都セミナーB

発表者 ハイエク マティアス(Matthias HAYEK)氏
    (パリ・ディドロ大学准教授・国際日本文化研究センター外国人研究員、
     知識社会学、信仰社会学、近世日本文化史)

論 題 百鬼夜行と百科思想:フランスの妖怪文化の一側面を考える

要 旨
怪異現象やその発生の原因と想定される存在、
そしてその存在の表象(造形)を 総括する学術用語として作あげられた「妖怪」は、
日本文化の一つの特徴を指す 言葉として広く認識されるようになった。
しかし私はむしろ、この「妖怪概念」 を、「マナ」や「シャーマン」のように、
人間社会の普遍的な概念にして、世界 の妖怪文化を発掘することこそ、
重大な課題であると考えている。

『百科全書』などの、近世フランスの啓蒙書や辞書には、
「怪物」や「幻獣」と いう驚異的な「生物」とも、
中世の騎士文学に登場する「フェー」とも違う、 「リュタン」という語が見える。
この語は、個別の形態を持ち、特定の地域にしか現れないものを指すのではなく、
夜な夜な人を驚かし悪さをする、愚民が迷信する「死霊」の類を指す総称として使用される。

本発表では、この「リュタン」の一種である、南仏に伝承が多く、
「水」と深い関係を持っているという「ドラク」をはじめ、
フランス近世以降の「妖怪」伝承に注目し、それらから見えてくる「妖怪」と「異人」、
「死者」、「聖人」の構造的・機能的関係を探ってみたい。

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