第41回年次研究大会のお知らせ
日時 2022年12月11日(日)13:00〜17:25
開催 佛教大学1号館4階 415教室(京都市北区紫野北花ノ坊町96)/オンライン(zoom)
タイムテーブル
13:00−13:05 開会
13:05−13:35 第1報告 松尾有起氏(奈良女子大学大学院博士前期課程)「民謡としての「島原の子守唄」―強調され、隠蔽され、曖昧化される起源―」
13:35−13:45 コメント 橋本 章氏(京都文化博物館)
13:45−13:55 質疑応答
13:55−14:25 第2報告 堀田奈穂氏(関西学院大学大学院社会学研究科)「死者に関するモノのアート化―ジャック・オ・ランタンと精霊馬―」
14:25−14:35 コメント 内田忠賢氏(奈良女子大学)
14:35−14:45 質疑応答
14:45−14:55 休憩
14:55−15:25 第3報告 伊藤耕一郎氏(関西大学大学院博士課程後期課程修了)「寺社仏閣、そして教会―キリスト教会が地域社会から選ばれたのはなぜか―」
15:25−15:35 コメント 村上忠喜氏(京都産業大学)
15:35−15:45 質疑応答
15:45−16:15 第4報告 清水拓野氏(関西国際大学)「教育の視点からみた無形文化遺産研究 :中国無形文化遺産の事例を中心に」
16:15−16:25 コメント 今中崇文氏(京都市文化財保護課)
16:25−16:35 質疑応答
16:35−16:45 休憩
16:45−17:20 会員総会
17:20−17:25 閉会
参加方法
・参加ご希望の方は、12月3日(土)23:59までに会員宛てメールに記載されたエントリーフォームから申請してください。
・【リアル参加】非会員の方は当日受付で参加費300円をお支払いください。
・【オンライン参加】会員の方のみご参加を申し受けます。後日URLとパスワードをお送りします。なお今回はオンライン参加の方は質疑応答ができません。
・【オンライン参加】オンラインアプリはzoomを使用します。なおアプリ使用についてのサポートは行いません。
報告要旨
第1報告 松尾有起氏(奈良女子大学大学院博士前期課程)
「民謡としての「島原の子守唄」―強調され、隠蔽され、曖昧化される起源―」
「島原の子守唄」は、宮崎康平という人物が戦後に創作した子守唄であるといわれている。これは「島原の子守唄」の歴史的な起源の1つとして語られている。しかし、今日の「島原の子守唄」はこうした起源に規定されながらも、それにとどまらない多様な諸説とともに存在しており、きわめて多義的である。たとえば、「島原の子守唄」は長崎県の島原半島に古くから伝わる民謡として紹介される場合もあれば、貧しさゆえに海外で売春をしていた「からゆきさん」の哀歌として紹介される場合もある。
本発表は「島原の子守唄」に関する諸説の中に見られる、民謡という要素に注目する。すなわち、なぜ「島原の子守唄」は古くから伝わる民謡として地域内外で語られるのか(あるいは語られないのか)を明らかにする。実際には、「島原の子守唄」を構成する民謡という要素がどのように生み出され、ときに隠され、ぼかされていったのかを分析する。「島原の子守唄」はレコードやCD、演劇、紙媒体、バスガイド、保存会などを通して全国各地で知られている。そのため本発表は地域内のみならず地域外における語られ方をも視野に入れる。
「島原の子守唄」がなぜ民謡として紹介されるのかという問いは、これまでも分析されてきた。しかし、そうした分析は「島原の子守唄」の起源を解明することに終始していた。「島原の子守唄」の起源は何かを問い、民謡ではないことを前提とする分析は、「島原の子守唄」が社会の中で民謡として積極的に語られてきた事実に注意を払っていない。したがって、本発表は「島原の子守唄」の起源とされる諸説が真か偽かを問い、本物の「島原の子守唄」を発見することを意図しない。そうした「島原の子守唄」の起源にまつわる諸説が社会の中でいかに語られ、ぼかされてきたのかを視野に入れながら分析する。 また、近年の民謡研究において民謡と呼ばれるものの範囲が広くなり、曖昧になっていることが指摘されている。本発表は「島原の子守唄」を構成する民謡という要素が誰によってぼかされ、曖昧にされたのかを分析することにより、なぜ民謡は曖昧になったのかを説明する枠組みを提供することを目指す。
第2報告 堀田奈穂氏(関西学院大学大学院社会学研究科)
「死者に関するモノのアート化―ジャック・オ・ランタンと精霊馬―」
近年、SNSをはじめとするインターネット上で、ジャック・オ・ランタン(現代のアメリカ合衆国において、ハロウィンの際にローソク立てとして用いられるカボチャの彫刻物)と精霊馬(盆行事の際に、祖霊の乗り物として用いられる供え物。キュウリやナスで馬や牛の形を作る。ここでは、近年のネット上の慣行に従い両者を「精霊馬」の語で表現する)がアーティストではない個人の手によって様々にアレンジされ、その画像が公開されている。
例えば、ジャック・オ・ランタンであれば従来のデザインよりもさらに恐ろしい顔や映画のキャラクター等を彫ったものがあり、精霊馬であれば単にキュウリやナスに棒を刺して足にしたものではなく、キュウリやナスを切ったり組み合わせたりしながら車やバイク、飛行機の形にするといったものが確認できる。
ジャック・オ・ランタンと精霊馬はどちらも死者もしくは霊魂に関するモノである。そのため、こうした本来のデザインからの改変ともいうべき現象は、死者に関するモノがアート化し、大衆化していると捉えることが出来る。
両者は、いずれも各家庭で飾るものの場合、基本的に個々人が作成していることが多い。この点は、既製品を購入する場合よりも格段に作成者自身の考えや思いを反映させる余地があることを示している。そのため、アート化といっても画一化されたものではなく、作成者によって異なった様相を呈する。
また、アート化に際し、どちらも本来の意図や用途、目的から大きく外れることはない。ジャック・オ・ランタンは従来のデザイン同様、顔に見立てて作られることが多く、また、本来ローソク立てとして用いられるものであるため、カボチャの丸い形そのものは基本的に維持される傾向にある。一方、精霊馬は車やバイク、飛行機といったように様々な形になり、キュウリやナスの原型は維持されていない。しかし、霊魂の「乗り物」という点が重視され、その点からの逸脱はあまりみられない。
アート化されたジャック・オ・ランタンや精霊馬は、ネット上で公開されている場合が多い。そして、インターネット・ミームのように、画像を見た人間の中から、自身の考えや思いを反映させたものを作成し、ネットにアップするというサイクルが生まれている。つまり、ネットを介しているからこそ、個人によって様々にアート化されたジャック・オ・ランタンや精霊馬がさらに広まっていくのである。よって、本報告では、ネット上でのサイクルが、死者に関するモノが個人の手によって独自にアート化する契機の一つとなっていると結論付ける。
第3報告 伊藤耕一郎氏(関西大学大学院博士課程後期課程修了)
「寺社仏閣、そして教会―キリスト教会が地域社会から選ばれたのはなぜか―」
京都市中京区にある「京都ハリストス正教会」(生神女福音大聖堂)では2020年の秋頃から訪れる人が増加。冬からは寺社仏閣と同時にここを訪れる人のために「切り絵御朱印」がつくられるようになった。今年は近隣の藤袴保護団体「源氏藤袴会」と連携し、スタンプラリーや「藤袴の夕べ」を開催。餡子を主体とした銘菓店も協賛し盛況を博した。さらには、西陣織の老舗と共同でイコンを作成。地域の喫茶店には教会のシルエット入りコースターが配布され、店舗の土産品として持ち帰る人も多く、バックオーダーを抱えている。また、京都の豆菓子の専門店と教会で、新しい豆菓子の共同開発を行うなど、地域社会との連携活動が次々と実現している。
同教会は京都市から1986年に文化財の指定を受けており、2016年の「特別拝観」の期間には2万人を超える人がここを訪れた。しかし、これはあくまで外部から「日本最古のビザンティン・ロシア様式の大型木造聖堂」を見に来た人の数であり、教会の司祭は「拝観者に洗礼者なし」とキリスト教機関誌にコメントを掲載している。また、2022年には国の重要文化財にも指定され新聞やニュースで報道がなされた。これを地域社会と教会との接点とする見方も少なくない。
しかし、同教会は1903年からこの地に建っており、地域社会とは関わらず所謂「棲み分け」をしてきた。また、地域との連携は2020年の末から計画されており、報道を見て教会が国の重要文化財になったことを知った関係者がほとんどである。100年間の隔絶を超えて、僅か3年弱の間に教会は地域社会の中の中心施設となった。「いったい何が起きたのか自分たちにも分からない」とは同教会の役員は言う。しかし、同教会の司祭は全くこれを特別なこと、教会が特別な存在になったとは捉えてはおらず、赴任時より「教会は地域の中の光」であり、「愛と信頼、友情をはぐくむ所」だと宗教施設としてのあり方を変えてはいない。
それではなぜ、寺社仏閣ではなく、教会という京都においてある種特殊な施設が、地域の中心施設的な役割を担いはじめたのだろうか。そして、なぜそこに寄せられる地域社会からの期待は大きくなってきているのか。本発表では京都ハリストス正教会が地域社会の中に受け入れられ、期待される役割について、教会内への継続調査と地域社会への聞き取りから考察するものである。
第4報告 清水拓野氏(関西国際大学)
「教育の視点からみた無形文化遺産研究 :中国無形文化遺産の事例を中心に」
本発表は、「実践知(Practical Intelligence)」の概念や「学校化(Schoolnization)」の概念などを手がかりに、教育研究の視点から行う無形文化遺産研究の意義について考察するものである。ここでは、文化遺産の保護・登録をめぐる活動が近年とりわけ活発な中国の事例を中心に検討する。本発表は、文化人類学的な事例研究なので、筆者がこれまで20年余り調査研究してきた無形文化遺産の秦腔(中国西北地域の伝統演劇)の状況を具体事例として議論を進めたい。
中国では、文化大革命時代に排除の対象であった伝統的無形文化を文化遺産として保護・継承の対象にするという文化政策の大転換を行い、21世紀に入ってから数多くの無形文化遺産を登録してきたので、文化遺産研究は近年大いに注目されている。しかし、日本と比べても文化遺産保護の歴史が短い中国では、政策的矛盾も多々あり、無形文化遺産の継承過程にも少なからず影を落としている。2006年に国家レベルの無形文化遺産となった秦腔の場合も、決して例外ではない。例えば、中国で近年行われてきた文化体制改革により、独特の芸風を持つ劇団が他のいくつかの劇団と統合され、人員整理され、秦腔の後継者育成に支障をきたしている。
本発表では、中国の無形文化遺産研究や関連する中国芸能研究を概観し、教育に関する研究の蓄積が少ないことを指摘する。以上を踏まえて、本発表では、無形文化遺産に関わる人材育成環境に注目することが、状況改善に役立つ新たな視点の獲得につながることも指摘する。その際、教育環境のあり方を具体的に検討する手がかりとして、熟達者(エキスパート)の持つ知識や技能を意味する「実践知」の概念、および、「学校化」の概念が有効であることを示したい。前者の「実践知」の概念は、これまで教育研究や経営学研究の文脈でおもに用いられてきたが、無形文化遺産研究にも少なからず役立つと思われる。また,「学校化」は、報告者が日本の芸能研究者との共同研究のなかで構築した教育形態・教育方法に関する概念であるが、実践知の獲得過程における「教育環境」に注目するこれまでの実践知関連の研究(芸能分野以外のものが多い)に対して、秦腔のような伝統芸能の現状を踏まえて、人材育成環境に関するより具体的な視点を提供しようとするものである。