2020年
第39回年次大会
日 時 2020年12月12日(土)13:25-17:00
方 法 オンライン形式
プログラム
13:25-13:30 開 会
13:30-14:00 第1報告 星 優也氏「「いけばな「依代」起源説について
ー戦後における民俗学と華道の一考察としてー」
14:00-14:30 第2報告 荒木真歩氏「島の芸能をめぐる「期待」
ー鹿児島県硫黄島の八朔太鼓踊りを事例にー」
14:30-15:00 第3報告 渡 勇輝氏「柳田国男の農政論から神道論への展開
ー『斯民』の動向に注目してー」
15:00-15:10 休憩
15:10-15:40 第4報告 辻本侑生氏「性的マイノリティは差別を「笑い話」に変えるのか?
ー差別発言をめぐるオンライン空間上の発話を事例としてー」
15:40-16:10 第5報告 政岡伸洋氏「民俗学の視点から
新型コロナウイルス感染拡大に伴う混乱を考える
ードイツ・トリア市の場合ー」
16:10-16:30 講評・閉会
発表要旨
第1報告 星 優也氏池坊短期大学専任講師・華道文化研究所研究員)
「「いけばな「依代」起源説についてー戦後における民俗学と華道の一考察としてー」
【司会・コメント】村上忠喜氏(京都産業大学)
「伝統文化」の一つに位置づけられる「いけばな」(華道)は、
華道家元池坊を筆頭に数多くの流派にわかれている。
諸流の始まりは様々だが、「いけばな」の起源を神の「依代」とする説は、
概説書などに書かれることが多い。周知のように「依代」は、
折口信夫「髭籠の話」にはじまる概念であり、
いまでは折口が創り出した語彙から離れ、もはや言葉として定着している。
本報告は、折口信夫が関わった1950年國學院大學の華道学術講座および、
民俗学者や文化史研究者が寄稿した1970年代の『図説いけばな大系』、
80年代の『いけばな美術全集』、90年代の『日本いけばな文化史』を取り上げ、
折口以降、いけばな「依代」起源説がいかに民俗学と華道界で受容され、
展開したのか素描を試みる。
この研究は、華道史・いけばな史を進めるのみならず、
民俗学の学知や研究者が戦後の「伝統文化」とどのように関わりを持ち、
いけばな認識・言説を創り出したのかを明らかにするものである。
報告は、その創造性を問う視点から、
民俗学史・史学史・流派別いけばな史を越えた、花の学知史を目指す。
第2報告 荒木真歩氏(神戸大学大学院国際文化学研究科博士後期課程)
「島の芸能をめぐる「期待」ー鹿児島県硫黄島の八朔太鼓踊りを事例にー」
【司会・コメント】橋本 章氏(京都文化博物館)
これまでの民俗芸能の研究は芸能に関わる担い手や演者、その社会組織が
扱われることが多くなっており、特にその民俗芸能に地縁のない人々が
増えていることが背景にあり、外部の参加者が近年注目されている。
そこから様々な新たな関係が生み出されていることは多く報告されてきている。
また民族音楽学の側面からも、音楽に参与する人々が注目されており、
民族音楽は所産としての音楽よりも人々が共に演じることで社会を
(再)創造したり、社会的相互作用があることはすでに言及されてきた。
本報告では、これまでの民俗芸能や民族音楽の議論を踏まえ、
離島の芸能として硫黄島の八朔太鼓踊りを事例に、
特に演者の人選の側面から具体的に検討していく。
鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島の八朔太鼓踊りは
毎年旧暦の8月1日・2日の2日間おこなわれる。
硫黄島は人口が約120人の離島であり、踊り子になる人は、
出身者だけでは人数を確保できず、山村留学の中学生、学校の先生、
移住者など出身や経験を問わず参加している。
ただし、八朔太鼓踊りのメンバーは10人と限られており、
多くの人が参加している約1週間の練習の途中で役員によって決定される。
踊り子となる人は踊りの巧拙だけではなく様々なことが考慮され選ばれる。
また2018年以降は、八朔太鼓踊りと同時に登場するメンドンが
「来訪神」としてユネスコ無形文化遺産になり注目を集め、
島外のイベントに参加する機会も増えた。
それによって人選がメンドンを含めて新たな様相を呈している。
この事例から見えてくることは、踊り自体が島の社会を(再)創造したり
新たな「つながり」を生んでいるというよりも、むしろそのようなことを
「期待」しており、様々な立場からの「期待」が交錯していた。
本報告ではこの芸能をめぐる様々な「期待」を描き出し、
その交錯のあり様を考察する。それによって離島の芸能について
民俗芸能の研究から新たな視点を提示することを試みる。
第3報告 渡 勇輝氏(佛教大学大学院)
「柳田国男の農政論から神道論への展開ー『斯民』の動向に注目してー」
【司会・コメント】鈴木耕太郎氏(高崎経済大学)
本報告では、柳田国男が大正期に「神道私見」を発表するに至るまでの
問題意識の展開を、中央報徳会の機関紙であった『斯民』の動向を
参照することによって、農政官僚として出発した柳田が、
いかにして神社信仰の問題に注目するようになったのかを検討する。
かつて萩原龍夫は、柳田の学問は民俗学のみならず神道研究においても
不朽の業績であると評価したが、その第一の画期として注目していたのが
「神道私見」や「祭礼と世間」など、大正期に発表された諸論考である。
しかし、萩原以後の研究によって「神道私見」の未熟性が指摘されるようになり、
この内容をめぐって河野省三と論争となった「神道私見論争」も、
突発的な事件として大きな価値は与えられてこなかった。
ところが近年では、大正期の神道研究が進むと同時に、あらためて
柳田の神道論は、大正期に勃興する多様な神道研究の展開の一つとして
注目されるようになり、「神道私見論争」も無益な論争ではなく、
その内容の射程をめぐって考察する状況が整ってきた。
ただし、このような研究動向においても、農政官僚出身の柳田が、
なぜ大正期に「神道私見」のような、神社の信仰に注目していったのかという
問題は、依然として明らかにされたとは言いがたい。
そこで本報告では、柳田も評議員として活動していた中央報徳会の機関紙
『斯民』に注目することで、日露戦後の再編過程で、
報徳思想がいかに読みかえられていったのか、
また地方改良運動のなかで神社の取り扱いがどのように変化していったのかを
同誌の動向からおさえつつ、柳田の論考をあらためて検討する。
具体的には、柳田の視察旅行記や「塚と森の話」を中心に取り上げ、
明治44年(1911)の史蹟名勝天然記念物保存協会の発足とともに、
『斯民』において老樹や神木への関心が高まっていくことを確認し、
柳田が神社に注目していく過程とその射程をとらえようとするものである。
この作業によって、「神道私見」の発表に至るまでの柳田の問題意識の展開を
明らかにできるばかりでなく、これまで議論されてきた柳田農政学から
民俗学への連続/断絶の問題に対しても、
新たな視角から論じる射程を提示したい。
第4報告 辻本侑生氏(民間企業勤務)
「性的マイノリティは差別を「笑い話」に変えるのか?
ー差別発言をめぐるオンライン空間上の発話を事例としてー」
【司会・コメント】東城義則氏(立命館大学)
本発表は、ある政治家の性的マイノリティに対する差別発言に関連して、
2020年10月にオンライン上でみられた一連の発話・反応を事例とし、
民俗学的差別研究の視点から分析と理解を試みるものである。
また、オンライン空間の分析に関する技術的・倫理的課題を
海外の先行研究も踏まえて整理しつつ、
民俗学の視点から現実に生起した出来事にリアルタイムで反応する試みでもある。
今野大輔が指摘するように、民俗学的差別研究は、
「加差別側」「被差別側」の双方に目を向け、
多様な差別問題の事例研究を積み重ねていく段階にある
(今野大輔2020「特集にあたって」『現代民俗学研究』12)。
こうした中、発表者は性的マイノリティに対する差別的な視線がどのように
形成されてきたのか、明らかにしようと試みた(辻本侑生2020
「いかにして「男性同性愛」は「当たり前」でなくなったのか」『現代民俗学研究』12)。
しかし発表者の研究は近代を扱ったものであり、
現代における性的マイノリティ差別については課題として残されている。
そこで本発表では、現代日本のある政治家の性的マイノリティに対する
差別発言によって、オンライン上でどのような発話や反応が生まれたか、
明らかにすることを試みた。
オンライン上における発話や反応を収集した結果、差別発言への非難や
抗議に加えて、政治家が用いた表現が流用されて笑いに変わり、
ハッシュタグとなって新たな発話や反応を生み出す現象が観察された。
これは島村恭則の指摘に即せば、マイノリティが抑圧された自身の状況を逆手に
取った「笑い話」的反応として理解できる
(島村恭則2020「日本の現代民話再考」『民俗学を生きる』晃洋書房)。
しかしオンライン上では、誰が当事者として発話しているかは判然とせず、
性的マイノリティ差別から文脈をずらした発話も複数みられた。
さらに数日経たないうちに、差別発言への抗議と性的マイノリティの連帯を
呼びかける性格の新たなハッシュタグが出現し、
笑い話的なハッシュタグと拮抗するようになった。
分析の結果、一連の発話・反応は、差別発言に対する性的マイノリティの
一枚岩な「抵抗」として解釈できるものではなく、
「加差別側」「被差別側」の二項対立に収斂しない様々な立場性の交錯がみられた。
民俗学的差別研究には、オンライン上をも含めた日常の発話を素材とし、
性的マイノリティ差別をめぐる複雑さを複雑なまま記述・分析していくことが
求められるのである。
第5報告 政岡伸洋氏(東北学院大学)
「民俗学の視点から新型コロナウイルス感染拡大に伴う混乱を考えるードイツ・トリア市の場合ー」
【司会・コメント】金城ハウプトマン朱美氏(富山県立大学)
本報告は、ドイツ・トリア市において滞在中に経験した
新型コロナウイルス感染拡大およびそれに伴う行動制限、
そして人びとの対応について、民俗学の視点からいかに理解できるのかを
提示するとともに、このようなパンデミックを含めた災害を対象化する際の
学問的課題について考えようとするものである。
新型コロナウイルスにより引き起こされたパンデミックは、
2020年1月23日から始まった中国・武漢市の都市封鎖、
2月5日から日本政府が行った「ダイヤモンド・プリンセス号」の隔離措置、
そして急速に世界各地で感染者が確認されると、
人びとに大きなインパクトを与えた。
この感染拡大に対し、WHO(世界保健機構)は、2020年1月30日に
「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」を宣言。
また、2月28日にはこの疾患が世界規模で流行する危険性について
最高レベルの「非常に高い」と評価。
そして、3月11日、WHOのテドロス事務局長は、
WHOの基準を逸脱してパンデミック(世界的流行)相当との認識を表明した。
その後、全世界的に感染者および死者数が急速かつ爆発的に増加し、
医療崩壊、ロックダウンや入国禁止措置等の厳しい行動制限がとられることで、
従来の日常の行動が大幅に規制され、現在においても経済的・社会的に大きな
ダメージを与え続け、大きな混乱を招いている。
2020年10月23日17:00現在、215の国と地域で、感染者は41,695,675人、
死者は1,137,193人となっている。
本報告で取り上げるドイツの状況を見てみると、2020年1月27日に上海市在住の
中国人女性と会議を同席したバイエルン州在住の33歳男性会社員の感染が
確認されると、職場内でクラスターが発生、
その後ノルトライン・ヴェストファーレン州を中心にドイツ各地で感染者が
急増しはじめ、3月13日にはメルケル首相による行動制限についての演説、
3月15日にはフランス・ルクセンブルグ・スイス・オーストリア・デンマークとの
国境を封鎖、その後5月6日までロックダウンに入り、通院や買い物、
健康維持のための散歩など最低限の行動を除いて外出、
家族以外の人との接触が禁止されることになった。
一方、人びとは天気の良い日などに外出したり、友人や知人との接触による
感染が報告されるなど、公衆衛生的な行動をめぐって混乱も生じ、
マスク反対デモも行われたが、なぜこのような現象が見られたのであろうか。
そこで、本報告では、ドイツ・トリア市の事例をもとに、パンデミック以前の
日常の暮らしのリズムと新型コロナウイルス感染対策状況とを対比させつつ、
人びとの行動の背景を検討するとともに、その分析結果を踏まえ、
民俗学の立場から災害にいかに向き合うべきか、
その学問的独自性・有効性についても考えてみたい。
第328回
日時 2020年11月29日(日)13:25-16:30
開催方法 オンライン形式(zoom)
タイムテーブル
13:25-13:30 趣旨説明
13:30-14:10 第1報告 渡 勇輝氏(佛教大学)
「柳田国男と近代神道史〜「神道私見論争」と大正期の神道言説〜」
14:10-14:50 第2報告 舟木宏直氏(佛教大学)
「二十日灸の民俗学的研究」
14:50-15:00 休憩
15:00-15:40 第3報告 大黒久美子氏(高知県立大学)
「婚姻における若衆の役割と村落構造との関連についての研究
―高知県宿毛市山奈町と高知県室戸市佐喜浜町を事例として―」
15:40-16:20 第4報告 石丸輔久氏(佛教大学)
「神仏分離令と牛頭天王」
16:20-16:30 講評
報告要旨
第1報告 渡 勇輝氏(佛教大学)
「柳田国男と近代神道史〜「神道私見論争」と大正期の神道言説〜」
本報告は、柳田国男の「神道私見」の表明を明治期からの神道史のなかに位置づけ、
柳田の民間信仰研究の関心が、「国民生活」の解明が喫緊の課題とされるようになった
大正期の歴史的産物であったこと、また国民道徳論と密接に結びついていく
「神道」言説との緊張関係のなかから展開してきたことを明らかにする。
大正7年(1918)、当時貴族院書記官長であった柳田国男(1875-1962)は、
丁酉倫理会において「神道私見」なる論考を発表し、
その内容をめぐって当時国学院講師兼神職であった河野省三(1882-1963)と論争に発展した。
この論争については、先行研究で双方の見解が比較され、
柳田の言説が後の「柳田民俗学」と連続性をもつかどうか、
また柳田が「国家神道」批判にあたるかどうかという議論がなされてきた。
しかし近年の大正期研究の進展を踏まえれば、
この論争は国家神道対非国家神道という二項対立構造ではなく、
大正期における「国民」再編構想の相違として見ていく必要がある。
また、世紀転換期の宗教概念の変化についても問題提起がなされ、
かつ「民俗」や「神道」という概念そのものも明治後期から大正期にかけて
新たな展開をみせていることが明らかになるにあたって、
本論争は大正期固有の課題を担った、
「国民」理解の方途の衝突としての射程が得られるようになった。
とくに本報告では、柳田がこの時期になぜ
「神道」を主題にする必要があったのかという点に問題を設定し、
柳田と河野の両者が描く「神道」が、
「国民生活」の浅深そのものを問題としたことに注目する。
「神道」は明治10年代以来、公的には宗教的神道(「教派神道」)を
示す言葉とされており、政府は非宗教的神道を「神社」と公称していた。
しかし、対外戦争による戦勝祈願祭の展開によって、
明治後期に「神道」の再解釈が起こり、
「神道」は「国民思想」を体現するものとして認識されていくようになる。
神職である河野のみならず、柳田も「神道」を「国民生活」の問題として
取り上げていく背景には、このような「神道」言説の変遷が関わっており、
本報告ではこれを当時の神職系雑誌を参照することで
同時代的な問題を確認する。
こうした思想的土壌において「神道」の内容で対立した両者は、
異なる「国民」像を提示していく。
柳田がかたちづくっていく「民俗学」が、
いかなる言説と対峙しながら展開してきたのかを、同時代状況のなかから検討したい。
第2報告 舟木宏直氏(佛教大学)
「二十日灸の民俗学的研究」
これまで、灸の年中行事といえば2月2日と8月2日に行う
二日灸が中心に取り上げられてきた。
一方、灸の行事は1月20日にも認められるが、二日灸と混同され、
研究の主題に取り上げられてこなかった。
そこで、本研究は、1月20日に行われる二十日灸に関する調査・分析を行うこととした。
山形県新庄市、酒田市、最上郡最上町、西村山郡西川町の4市町村における
フィールドワークおよび文献資料中に認められる1月20日の灸の行事の記録から、
行事の呼称、分布、事例を集積した。
その結果、呼称として、日付に由来する「はつかキュウ」「エイト正月」、
灸をすえる行為に由来する「キュウタテビ」「キュウタテ」、
施灸時の介在物に由来する「カガチ灸」「皿キュウ」、などが認められた。
本研究では、二十日灸に統一して記載することとした。
また、行事は、東北地方、北関東地方、新潟県、島根県、鹿児島県奄美諸島に
広く分布していることが確認された。
方法は、皿やすり鉢を用いて行う地域が多く認められた。
また、施灸時に唱えごと唱え、家屋に対しても施灸を行うことが確認された。
1月20日は正月の終わりに位置し、新旧の年という時間的境界性を有する。
この時期は、小正月を中心に訪問者(神)が訪れる時期に位置している。
一方、二十日灸の方法を確認すると、
囲炉裏や戸口の敷居といった家屋に施灸する行為が認められる。
囲炉裏や戸口は家屋空間の境界に位置し、
疫神が家屋内に侵入する経路の1つである。
また、二十日灸に用いる艾作成のための蓬の採取は、
端午の節句に行われていた。
この日に採取された蓬は、陽気が強く、呪力の高い蓬である。
このことから、二十日灸は、端午の節句に採取された
呪力の高い蓬を燃焼させることで、時間的・空間的境界を通じて訪れる
悪神(疫神)の侵入を防衛する行為であると考えられた。
二十日灸の際の身体への施灸は、直接すえるのではなく
皿やすり鉢を介在物に用い、それらを頭上に頂き、
身体を煙で燻すことが主目的とされていた。
頭にものを冠する行為は、鍋被り葬などに認められる。
鍋被り葬は、ハンセン病や梅毒による死者に対して
病を断つことを目的として行われていた。
一方、朝鮮半島の鬼神信仰の疫鬼の調伏法や
我が国の瘧の治療の俗信に焙烙を用いた灸法が認められる。
このことから、二十日灸は、時間的・空間的境界から出入りする悪神、
特に疫病神に対する防衛・調伏行為であると考えられた。
第3報告 大黒久美子氏(高知県立大学)
「婚姻における若衆の役割と村落構造との関連についての研究
―高知県宿毛市山奈町と高知県室戸市佐喜浜町を事例として―」
本研究は、若衆が個人の婚姻に関与するか否に村落構造や
若衆の役割また権限の差異がどのような影響を与えているのかを
明らかにすることを目的とした。
高知県内の2つの地域の事例を分析考察した結果、
村内における若衆の最も重要な役割が権限にも強い関わりをみせ、
若衆の権限と家意識の強弱に相関性があることがわかり、
それらによって若衆が婚姻に関与するか否かが明確になることを立証した。
平地の農村で農業を生業とする宿毛市山奈町では、泊り屋は現存するが、
若衆組としての加入や制裁などは緩やかであった。
警防を最も重要な役割とした若衆は、村内の家意識の強さから
権限は与えられず、婚姻に関与できない。
さらに、恋愛から結婚へと進展させたい感情を抑え親が決めた相手と結婚する場合が多く、
村内の家意識の強さや家父長権が婚姻に影響を与えていた。
よって、家を継ぐ意の 「養子婚」事例が多い地域となった。
この地域の「養子婚」率29%は、通説である「嫁入婚」に反証する事例であり、新知見であった。
一方、海村の街であり半商半漁を生業とする室戸市佐喜浜町では、
祭りの伝承を最たる役割とする臨時的な若衆宿が栄え、加入や制裁は厳格であった。
若衆は、加入により得られる権利があることに加え、
祭りを伝承する過程で村内における権限を強くしていった。
よって、村内では家意識より若衆の権限が勝り、若衆は婚姻にも関与する。
さらに権限の強さは、村内に自由に恋愛結婚ができる土壌をもたらし、
のちの青年らの自由恋愛に対する意識の解放が早まるという影響を与えた。
ゆえに村内は、配偶者選択の自由のある「自由婚」が成立する地域となった。
先行研究は、若衆が発達する年齢階梯制村落は「相手選びに自主性がある」と述べているが、
配偶者選択の自由があるか否かにまで踏み込んだ実態を明らかにしていない。
そこで、配偶者選択の自由がある婚姻を「自由婚」と定義した上で調査分析し、
この地域が「自由婚」に該当する要因を、
祭りの伝承によって権限を強くした若衆が早熟であったことが影響を与え、
村内に自由恋愛から結婚に進展することを認める風土が形成された、とした。
若衆組が生業と直結していない地域で、若衆が強い権限を持ち
婚姻に関与できることを明らかにしたことは、新知見であった。
宿毛市山奈町の「養子婚」の多さと、
室戸市佐喜浜町が「自由婚」に該当する要因は、
地域独自性であるといえるだろう。
第4報告 石丸輔久氏(佛教大学)
「神仏分離令と牛頭天王」
本論文は、慶応4年(明治元年:1868)に公布された神仏分離令を、
そこで名指しにされた牛頭天王の検討を通して、
宗教史・思想史の文脈に位置付けたものである。
慶応4年(1868)3月、神仏分離令の一環として公布された「神祇事務局達」は、
牛頭天王を始めとする神号の変更を求めた。
そこで、なぜ牛頭天王が名指しにされたのかを検討した。
この頃の明治維新政府で神祇行政を担った神祇事務局では、
津和野藩出身の国学者である福羽美静らが中心を担い、
「神祇事務局達」を起草していた。福羽美静は法令の原案の段階や、
慶応3年(1867)の津和野藩での寺社整理の際の法令でも
牛頭天王や祇園の社号の変更を明記しており、
ここから、前近代に遡及して国学者達の牛頭天王に対する認識を確認した。
国学者達が問題視していたのは、牛頭天王がスサノオと習合し、
それらが同一のものと民衆の間で認識されていたことであった。
また牛頭天王は疫神としてみなされ、薬師如来の垂迹でもあるとされ、
衆生の病を癒すといった信仰を集めていた。
次第に、こうして牛頭天王は疫神として全国各地に広まっていく。
そして、牛頭天王のこうした習合状態を問題視する国学者たちの認識は、
在野の巫覡や民間の宗教者による病気平癒の祈祷や吉凶の卜占、卜筮
あるいは呪詛・呪術を、淫祀邪教として取り締まる動きと結びついていく。
その後、幕末、維新期を経て、その国学者たちやその思想は、
明治新政府における神祇行政を担った神祇事務局でもイニシアチブを握っていく。
「神祇事務局達」を起草した津和野藩の福羽美静らは、
法令を速やかに回達しており、それはまさしく、
この「神祇事務局達」に始まる神仏分離令によって、
近世の宗教秩序を解体させる意図があったからである。
つまり、神仏分離令は、民衆がいたずらに牛頭天王を
スサノオや薬師如来との同一視、在野の巫覡や民間の宗教者による呪術や卜筮、
迷信の類が蔓延していた状況を一新させるためのもの、
すなわち近世の宗教秩序を解体させるためのものと位置付けられる。
また、福羽美静らと政局上対立関係にあった、平田門人の矢野玄道らも、
この時点では神仏分離令を巡っては同様の認識を共有していた。
さらに、福羽美静は近世の宗教秩序を解体させたうえで、
新たな神道概念の創出を企図していた。
神祇祭祀を最優先事項として、淫祠邪教などの旧弊から脱すること、
こうした宗教秩序を解体した後に、天皇の神祇祭祀を中心に据える、
すなわち明治憲法に即応する、儀礼を中心とする非宗教の「神道」である。
つまり、神仏分離令とは、近世の宗教秩序の解体と、
新たな神道概念の創出を企図したものと、ここでは位置付けられる。
第327回(オンライン開催)
日時 2020年9月27日(日)18:30-21:00
開催方法 オンライン形式(zoom)
発表者 真柄 侑氏(琵琶湖博物館特別研究員)
論題
民俗学で考える「はたらく」とは何か
―岩手県紫波郡紫波町片寄漆立における生業の展開と人びとの生き方から―
要旨
昨今、「働き方改革」が政府の主導により進められているように、
日本の現代社会は労働のあり方が大きく問われている時代にある。
その一方で、我々は「人がはたらく」ということが如何なることであるのかを
どれほど理解しているのだろうか。
この問題を考えるべく、報告者は特に関わりの深いものとして、
民俗学における生業研究の整理を試みた。
その結果、生業が営まれている地域の実態と、
その生業に携わる「人」がどう生きてきたのかという点は、
従来の研究では依然乖離している状態であることを指摘した。
そこで、地域の生業の全体像を捉えてみること、
そして一個人の人生の中で生業を捉えてみることという
二つの作業を行ない、人が「はたらく」とは如何なることなのか、
人が地域に暮らし生きるとはどういうことなのかということを、
今一度フィールドワークから丁寧に捉えようとしたのが本報告である。
当該地域はいわゆる中山間地域とされる集落であり、夏場に農業を行い、
冬場に酒屋働きとして全国へ赴く働き方が盛んであった地域である。
報告者はそこで、昭和30年代から現代にかけて、働く術や社会関係、
生活のあり方を変化させていく漆立の姿をみた。
その一方で、ある個人の人生経験から生業の変遷を立ち上げてみたときには、
漆立の生業の全体像を捉えた時とは一見異なる生業の選択や、
しかしそこにある人づきあいを基準とした個人の葛藤、
漆立で暮らすために必要であった仕事、といったことが
明らかとなったのであった。
以上を踏まえ、まず人が働く現場にある「はたらく原動力とは何か」という点に着目した結果、
報告者は“収入を得るということ”、“仕事を分かち合う楽しみ”があること、
“自慢の一品を持っている誇り”があることの3点を指摘した。漆立の人びとに映される、
それぞれの漆立で生きてきた歴史を抱えつつはたらき生きる姿から、
現代における労働のあり方と地域に生きるという問題を検討する。
第326回談話会(オンライン開催)
公衆衛生の民俗—withコロナの時代を見据えて—
日時 2020年8月30日(日)18:30-21:00(参加申し込み〆切8月21日)
開催方法 オンライン形式(zoom)
開催趣旨
猛威をふるう新型コロナウイルス感染症によって、
私たちの生活は様々な影響を受けています。
三密の回避は今や社会通念となり、そのため既存の作法やシステムは
それぞれに大小様々な見直しを迫られているのです。
この事態を前に民俗学はどのようなアプローチができるのでしょうか。
今回の京都民俗学会談話会では「公衆衛生」について
民俗学がこれまでに集積した知見から、感染症に対する
私たちの生活文化の特徴はどのようなものか、
あるいは現状に対してどう向き合おうとしているのかについて、
各分野に関心を寄せる研究者にご報告をいただきながら会を進めてゆきます。
報告者・演題
金城ハウプトマン朱美氏(富山県立大学)
「日独公衆衛生観の比較に見る民俗—コロナ禍で顕在化したもの—」
土居 浩氏(ものつくり大学)
「〈コロナ禍で簡素化〉に収まらない葬墓文化の変容」
樽井由紀氏(奈良女子大学)
「入浴文化の変遷とコロナ禍による社会変化への見通し」
コメンテイター
・村上忠喜氏(京都産業大学)
・林 承緯氏(國立台北藝術大学)
第325回談話会(オンライン例会)
自粛される祭礼行事〜「コロナ後」の変わりゆく社会を見据えて〜
日時 2020年6月26日(金)18:30-21:00
開催方法 オンライン形式(zoom)
開催趣旨
猛威をふるう新型コロナウイルス感染症の影響によって、
各地の祭礼は軒並み中止や延期される事態となっている。
この未曾有の状況に対してどう向き合うべきなのか、
本報告会では、コロナ禍によって自粛を余儀なくされた各地の祭礼の状況について、
専門の研究者に報告をいただき、その情報を共有して、
今後同様な事態が招来した際の方途について考えてゆく一助とする事を期するものです。
パネリスト・演題
阿南 透 氏(江戸川大学教授)
「青森ねぶた祭について」
福原敏男氏(武蔵大学教授)
「江戸山王祭と永田町日枝神社祭礼について」
村上忠喜氏(京都産業大学教授)
「京都祇園祭について」
福間裕爾氏(元福岡市博物館学芸課長)
「博多祇園山笠について」
コメンテイター
内田忠賢氏(奈良女子大学)/島村恭則氏(関西学院大学)
コーディネーター
橋本 章 氏(京都文化博物館)/今中崇文氏(京都市文化財保護課)/
東城義則氏(立命館大学OIC総合研究機構客員研究員)
備考
・今回はトライアル開催になりますので、参加者は京都民俗学会会員のみとします
・オンラインアプリはzoomを使用します
なお参加希望者へのアプリ使用についてのサポートは行いません
・本オンライン開催の参加に要する通信料等は、参加者各自でご負担ください
・参加を希望する会員は6月6日送信の事務局メールに基づき、
参加を申請してください(申し込み〆切は6月14日)
・京都民俗学会への入会を歓迎いたします!
入会案内をご参照ください
【中止】第324回談話会(第11回卒業論文報告会)
第324回談話会(第11回卒業論文報告会)は
昨今の新型コロナウィルス感染症の国内における発生の現状に鑑み、
やむなく中止いたしました。
日 時 2020年3月14日(土)10:50-17:45
会 場 佛教大学紫野キャンパス1号館
共 催 日本民俗学会
タイムテーブル
10:50-11:00 開会
11:00-11:35 第1報告 河野宗樹氏(佛教大学歴史学部)
「ネットロアをめぐる民俗学研究 差別をテーマとした話を中心に」
11:40-12:15 第2報告 橋澤菜摘氏(佛教大学歴史学部)
「桃太郎と瓜子姫—誕生・成長・性別の違いを巡って—」
12:15-13:20 休憩
13:20-13:55 第3報告 相田美玖良氏(佛教大学歴史学部)
「京都の六斎念仏における死者供養 —空也堂と焼香式—」
14:00-14:35 第4報告 山田七帆氏(滋賀県立大学人間文化学部)
「おこないの「改革」と継承」
14:40-15:15 第5報告 原 知里氏(滋賀県立大学人間文化学部)
「滋賀県のインキョ慣行とその変化」
15:15-15:25 休憩
15:30-16:05 第6報告 山田菜摘氏(関西学院大学社会学部)
「生きている平家伝承—愛媛県八幡浜市磯岡の事例—」
16:10-16:45 第7報告 辻 涼香氏(関西学院大学社会学部)
「「物忌」のゆくえ―伊豆諸島における来訪神伝承の消長―」
16:50-17:25 第8報告 加藤智寛氏(ものつくり大学技能工芸学部)
「遊技設備が24時間稼働する店舗実態の考察」
17:25-17:40 講評
17:40-17:45 終了
18:00-20:00 懇親会
報告要旨
第1報告 河野宗樹氏(佛教大学歴史学部)
「ネットロアをめぐる民俗学研究 差別をテーマとした話を中心に」
1995年以降、インターネットは私たちの生活の中で身近なものとなり、
かつて口承で広まってきた民話、伝承、逸話などが
様々な媒体を通して拡散されるようになった。
特に、インターネットの掲示板を中心に語られる怪談や都市伝説は、
従来の都市伝説などとは違った特徴が存在している。
本論文では、大手掲示板である2ちゃんねる内で投稿された怪談形態の特徴の変遷や、
そこに存在する無数の話の中で差別を題材として物が何を背景にしているのか、
なぜ話題になったのかを言及するのが目的である。
第2報告 橋澤菜摘氏(佛教大学歴史学部)
「桃太郎と瓜子姫―誕生・成長・性別の違いを巡って―」
植物から誕生したという共通点がある「桃太郎」と「瓜子姫」。
誕生は似ているが結末がハッピーエンドとバッドエンドで大きな違いがある二つの話を
三つの観点から比較をしていく。
一章ではなぜ桃や瓜から二人は生まれなくてはいけなかったのか考察していく。
二章では二人のように小さな姿で生まれた「小さ子譚」も
主人公に込められた意味に注目する。
三章では性別の違いについて論じていく。
結末の違いには二人の性別が大きく関わっていると考えられる。
三つの観点は全く別のものとして考えていた。
しかし桃から生まれた桃太郎は鬼退治に行くことが必然であり、
瓜子姫が天邪鬼に殺されてしまうのも決まっていた。
主人公が生まれる植物は主人公の性別や
その後主人公がどのような結末を辿ることになるのかに大きく関わる。
第3報告 相田美玖良氏(佛教大学歴史学部)
「京都の六斎念仏における死者供養 —空也堂と焼香式—」
京都の六斎念仏が死者供養を行うことに注目し、
その事例として天皇・皇后の崩御時に行われた焼香式を取り上げる。
六斎講中を支配していた空也堂は、焼香太鼓という特別な道具の使用を許した上で
六斎講中を焼香式に供奉させた。
焼香式は空也堂の伝える六斎念仏発祥譚とも関わる人物である
空也の伝説に基づいた儀式だが、先行研究においてその全体像は明らかにされていなかった。
そこで空也堂が所蔵する絵巻などの史料から、
焼香式での空也堂住持や六斎講中をはじめとする参列者の様子を描き出した上で、
開催日や開催場所について考察する。
加えて焼香式行列が絵巻として描き残されていることに着目し、
行列の由来や参列者の役割、描かれた意味を解き明かす。
さらに六斎講中への焼香太鼓に関する聞き取り調査の結果や
近現代における空也堂での六斎念仏奉納の諸相から、
焼香式が京都の六斎念仏のあり方に与えた影響を検討する。
第4報告 山田七帆氏(滋賀県立大学人間文化学部)
「おこないの「改革」と継承」
おこないは五穀豊穣や村内安全を祈願して行われる年頭行事のことである。
特に滋賀県の湖北地域・甲賀地域で行われており、
おこないを“花の頭”“神事”と呼ぶ地域もある。
おこないは、日程の省略などをはじめとした
簡素化・省略化などの改革によって継承がされている。
おこないの改革は時代に合わせておこないを実施しやすく変化させるために行われており、
社会や生活の変化に影響を受けている。
しかし、改革によりおこないを5年に1度のみの開催にするなど、
継承が難しくなっている地域もみられる。
本研究では、おこないの保存が活発に行われている、
滋賀県長浜市高月町東阿閉をフィールドとし、おこないの現状と改革について分析した。
また、アンケートの分析を通して住民のおこないへの意識を明らかにしていく。
これらの分析により、おこないがどのように継承されてきたのか、
今後どのように継承されていくのかについて明らかにすることを目的としている。
第5報告 原 知里氏(滋賀県立大学人間文化学部)
「滋賀県のインキョ慣行とその変化」
インキョ慣行とは、イエの繁栄や永続を目的として、
家督権や財産を次の世代へ相続することである。
インキョを行う時期は、長男の結婚や親の老齢を機とするなど、
各地で様々であり、インキョしたあと、2世代での居住形態は、
同居や別棟で分けることが代表事例となる。
しかし、これまでの研究では、地域の特殊例や
一部の事例を取り上げられているものが多く、
調査時点の慣行の静的な報告が目立っている。
慣行の地域性を明らかにするためには、集落を全体的に見て、
規模や時代的背景などの要因を吟味し、慣行の変化を動的に見る必要性を感じた。
本研究では、滋賀県をフィールドに、主要調査地を4集落に選定し、
慣行の地域的差異について比較・検討していく。
また、インキョ慣行の現況と、現在に至るまでの動きに焦点を置き、
時代的変遷についてもアプローチを試みた。
第6報告 山田菜摘氏(関西学院大学社会学部)
「生きている平家伝承—愛媛県八幡浜市磯岡の事例—」
愛媛県八幡浜市周辺には、平家伝承がいくつか存在している。
磯岡地区もそのような伝承地の一つであり、
屋島の戦いで落ち延びた武士の一人と伝わる平能忠の墓や
平能忠が作善したとされる仏像が残っている。
そして古くからそこに住む小野一族が、能忠の子孫として独自の伝承を形成している。
この伝承は、地域の歴史と絡み合いながら、一族と平家のつながりを説明しており、
一族の歴史(ファミリーヒストリー)とも言える。
しかしながら一族の歴史にまつわる文献が残っている訳ではない。
すべて口頭や経験によって受け継がれているものである。
そのため、本家、分家等の立場の違いによって認識が異なっている。
本論文では、①なぜ、現在も多様な伝承が生まれ、語られ続けているのか、
②なぜ、本家、分家等の立場の違いで、認識が異なるのか、2点について考察した。
第7報告 辻 涼香氏(関西学院大学社会学部)
「「物忌」のゆくえ―伊豆諸島における来訪神伝承の消長―」
伊豆諸島では、1月24日の晩に来訪者が訪れるため、
その日の夜は家に籠り、決して海を見ないようにする「物忌」を行なっている。
来訪者の正体に関する伝承にはさまざまなものがあり、
「神」、「島民に殺された悪代官の怨霊」、「悪代官を倒した島民の霊」などとして語られている。
伊豆諸島の物忌、来訪者伝承の研究は数多く蓄積されてきた。
中でも、山口貞夫(1944)は、人びとの神への信仰が「低下」した結果、
「神」が「怨霊」や「亡霊」になったとする見解を提出している。
この見解は、単系的な「神の零落」論というべきものだが、
しかし、本論文では、神津島、伊豆大島での現地調査にもとづき、
神か妖怪かの違いは、信仰する立場(中心か周辺か外部か)の違いに起因し、
かつ、そのうちの中心的立場(神として信仰)の空洞化により
周辺部(妖怪として信仰)だけが残されることで妖怪の前景化が起こったこと、
近年では、既存の伝承圏の外側にあるメディアの世界(「外部」)において
伝承の再生産が行なわれていること、などを指摘した。
第8報告 澤加藤智寛氏(ものつくり大学技能工芸学部)
「遊技設備が24時間稼働する店舗実態の考察」
本研究は、埼玉・群馬県でゲーム機筐体を設置する3店舗のドライブインが、
深夜零時を過ぎてもゲーム機を稼働させ営業する実態を調査し、その原因を調査した。
現地取材から、時間帯によるゲーム機稼働状況の変化、風俗営業取得の有無など、
それぞれ三者三様であることが分かった。
たとえば稼働台数の変化、店舗内の営業区画の変化などである。
またインタビューからは、風営法・風適法との関係、
特に風適法にある「10%ルール」が重要であることが分かった。
この「10%ルール」を巧妙に運用することで、
深夜零時以降もゲーム機を稼働させることが可能となっている。
第323回
日 時 2020年2月21日(金)18:30-21:00
会 場 ウィングス京都2階ビデオシアター
発表者 和田光生氏(大津市歴史博物館)
論 題 近世日吉山王祭の検討
要 旨
日吉山王祭は、景山春樹の神体山論のベースになった祭礼である。
祭礼は、3月第一日曜日、日吉大社背後の八王子山上にある二社(牛尾神社・三宮神社)に
二基の神輿が上げられる御輿上げからはじまり、
4月12日、二基の神輿が山を下り東本宮におさまる午神事、
13日には東本宮系の四基の神輿を大政所に移し、
御供の奉納や簡単な芸能が奉納される未神事、
そして14日は神輿渡御・船渡御が行われる申神事が主要な行事となる。
景山は、一連の神事から、八王子山の山上にある磐座(金大岩)に神が降臨し、
二基の神輿によって里に下り、未日にミアレ神事で若宮が誕生するという図式を描き、
古代の祭祀形態が継承されている典型と位置づけた。
もちろん現行習俗から古代を検討することには慎重であるべきとの指摘も
あわせて行っている。
彼が日吉社の最も古い資料として位置づけていた「日吉社禰宜口伝抄」が、
江戸時代末期に作成された文書と実証されたことから、
景山の理解は再検討されるべき段階に至っている。
ただ、よく知られているように、日吉社は慶応4年、
最初に激しい神仏分離が行われた社である。
もともと延暦寺と一体となった神仏習合の社であり、
祭礼にも延暦寺が関与していたものが、近代、大きな変貌を遂げている。
ここでは、神仏分離以前、つまり近世の山王祭を整理し、
そこからどういった問題が浮かび上がってくるのかを検討したいと思っている。
山王祭の近世の実態は、資料が豊富に残されながら、
今まで全く検討されてこなかった問題であり、
その基礎作業を現在継続しているところで、その一端の報告となる。
第322回
日 時 2020年1月24日(金)18:30-21:00
会 場 ウィングス京都2階セミナー室B
発表者 エマニュエル・マレス氏(京都産業大学文化学部准教授)
論 題 縁側の近代化―夏目漱石の作品を通して―
要 旨
「縁側」は日本独自の建築や文化をあらわす空間としてよく取り上げられる。
「うち」でも「そと」でもない、曖昧な空間、過程的空間、仲介的空間、
緩衝空間などなどと、様々な表現を使って分析される。
たしかに、縁側は内と外をつないでいるのと同じように、
人と人、自然と文化をつないでいる。
そういう風に考えてみると、縁側という例を引いて、
日本文化論が語られてもまったくおかしくない。
しかし、現在は縁側のある家がほとんど残っていない、というのも現実である。
この発表では、夏目漱石の作品を通して縁側の近代化について考えることにする。
近代というのは、縁側が最も盛んであった時代、
そして縁側が消滅する直前の時代でもある。
その近代を代表する小説家、夏目漱石のエッセイや小説などを通して、
縁側が20世紀初頭にどのように変わったのか、その構造と使い方の変遷を紹介する。