第42回年次研究大会

日時 2023年12月17日(日)10:00〜18:00
開催 佛教大学(京都市北区紫野北花ノ坊町961号館4階415教室/オンライン(zoom)
参加費 1000円

10:00-10:05開会
10:05-10:35第1報告
地域神社の晴明伝説と『簠簋内伝』―『安堵社神験記』を題材に―
中村一輝氏(京都民俗学会)
10:35-10:55コメント①
質疑応答
橋本 章氏(京都文化博物館)
10:55-11:25第2報告
民俗調査における「実践」の意義について―八丈島の「かっぺた織」の事例からみた民俗技術の保存の課題―
井坂弥生氏(京都芸術大学大学院芸術研究科芸術専攻博士課程)
11:25-11:45コメント②
質疑応答
東城義則氏(立命館大学)
12:40-13:10第3報告
観光地における鬼イメージの創造と地域の抵抗―中国の豊都鬼城を事例に―
李 江龍氏(愛知県立大学国際文化研究科博士後期課程)
13:10-13:30コメント③
質疑応答
今中崇文氏(京都市文化財保護課)
13:30-14:00第4報告
「全国一つ物一覧表」を作成して思うこと
福原敏男氏(武蔵大学)
14:00-14:20コメント④
質疑応答
村上忠喜氏(京都産業大学)
14:20-14:50第5報告
柳田国男と折口信夫の華道観―雑誌『華道学術講座』所収論文をめぐって―
星 優也氏(池坊短期大学専任講師・華道文化研究所研究員)
14:50-15:10コメント⑤
質疑応答
樽井由紀氏(奈良女子大学)
15:15-15:45第6報告
現代の婚姻儀礼と「家族の物語」―なぜ、いかに語られるのか
道前美佐緒氏(流通科学大学)
15:45-16:05コメント⑥
質疑応答
大野 啓氏(京都民俗学会)
16:05-16:35第7報告
ドイツとオーストリアにおけるエディブルシティーについて
金城ハウプトマン朱美氏(富山県立大学)
16:35-16:55コメント⑦
質疑応答
政岡伸洋氏(東北学院大学)
17:00-17:55会員総会
17:55-18:00閉会
タイムテーブル

参加方法
■会員の方
・【対面参加】会場に直接お越しください。受付で参加費1000円を頂戴いたします。参加登録は不要です。
・【オンライン参加】会員の方のみご参加を申し受けます。12月14日(水)23:59までに会員宛てメールに記載されたエントリーフォームから申請してください。

■非会員の方
・【対面参加】会場に直接お越しください。受付で参加費1000円を頂戴いたします。参加登録は不要です。

懇親会のご案内
当日は終了後にささやかな懇親会の開催を予定しておりますので、ご予定いただければ幸いです。
18時10分より佛教大学1号館地下食堂、会費6000円。

報告要旨

第1報告
中村一輝氏(京都民俗学会)
「地域神社の晴明伝説と『簠簋内伝』―『安堵社神験記』を題材に―」

平安時代の陰陽師、安倍晴明。最も有名な陰陽師と言っても過言ではない彼は天皇や藤原道長といった政治的中枢の人物に仕え占いや陰陽道祭祀を行った。歴史上の彼は一般的な「官人」として職務をこなす人物であったが、後世の説話では式神の使役や様々な呪術を行う超人的な存在として描かれ、「安倍晴明は偉大な陰陽師である」というイメージが民衆に広まっていった。彼を題材とした文学や芸能は人気を博し、現在でも彼が登場する作品が創られている。また彼に纏わる伝説、いわゆる「晴明伝説」も各地に残されているが、その一つが奈良県生駒郡安堵町に鎮座する飽波(あくなみ)神社(旧牛頭天王社)の由緒書きである『安堵社神験記』に記されている。今回はこの『安堵社神験記』に見える晴明伝説に焦点を当てる。
『安堵社神験記』(以下『神験記』)は慶長三年(1594)に当時の神主が書写した物である。同書は安倍晴明に仮託され中世に編纂されたと考えられている暦注書『簠簋内伝』の影響を受けているという特徴があり、随所にその形跡を見ることが出来る。『神験記』冒頭の「牛頭天王縁起」に相当する部分には『簠簋内伝』特有の記述が含まれており、読み進めると『簠簋内伝』の書名そのものも現れる。そして、飽波神社の正月神事である「夜(や)法会(ぼえ)神事」(現在は行われていない)は安倍晴明が同社を訪れた際に行った巨旦(『簠簋内伝』などで語られる「蘇民将来譚」において牛頭天王に宿を貸さなかったため滅ぼされた人物)を退治する修法に由来すると説いているのである。他にも『簠簋内伝』を所有している寺院の名前が記されているなど注目すべき点は多い。
このように『簠簋内伝』を用いた由緒を持ち晴明伝説の舞台となっていた飽波神社だが、陰陽道研究においてこの伝説が取り上げられたことは管見の限り見当たらない。実は同町には晴明のライバルとして知られる法師陰陽師、芦屋道満の伝説も伝えられており、その中には先述の「夜法会神事」は芦屋道満の修法に由来されるという内容も含まれている。どうやら近世には伝説が変化していたようであり『安堵町史 本編』などでもこちらの話が掲載されている。この芦屋道満に纏わる伝説は早くに存在が知られており、しばしば研究で取り上げられてきた。一方、安倍晴明の伝説を語る『神験記』は『安堵町史 史料編下巻』にその翻刻が掲載されているにも関わらず注目されることはほぼ無かった。しかし、私が見た限りでもこの史料は晴明伝説の一つとして、また『簠簋内伝』の知識の伝搬を物語る例として、そして牛頭天王信仰に関わる史料として興味深いものであり多方面からの分析が必要である。今回の発表をきっかけに多くの方に本史料に関心持っていただければ幸いである。

第2報告
井坂弥生氏(京都芸術大学大学院芸術研究科芸術専攻博士課程)
「民俗調査における「実践」の意義について―八丈島の「かっぺた織」の事例からみた民俗技術の保存の課題―」

東京都八丈島に伝わる「かっぺた織」は、1962(昭和 37)年に、文化財保護委員会によって玉置びん氏を技術保持者として「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選択された手織りの技術である。腰機で風通様(ふうつうよう/袋状に織られ、中を風が通るという意味)の二重組織で表裏異なる模様を織り出す技法は、国内では類を見ない。氏の生前から多くの研究者らによって調査が行われてきたが、体系的に整理された技術資料の公開はなく、1980年に玉置氏が死去されたことで、指定文化財としての位置付けは解除された。
かっぺた織は、多くは四寸以下の細帯か紐状の織物で、日常の必要に対して織られてきたと伝わっている。日用の紐を織る中で技術的に複雑化・高度化したと考えられる。貢納の歴史を有する同島の黄八丈とは異なり、技術的もしくは市場価値による評価が確立した織物ではなく、当時から、島内では有志によって技術の継承の取り組みが行われてきたが、個人の尽力によるものが大半であった。そうした歴史を踏まえるならば、八丈島における常民文化を代表する織物であり、まさに無形民俗文化財にふさわしい民俗技術であると考えられる。
発表者は、その現状を確認すべく、2022年から現地調査を通じて、実物や技法資料の所在の再確認に着手した。調査の結果、私家版の技法資料を確認したほか、島内に個人蔵のかっぺた織機が多数残されていること、映像による技術資料としては国立民族学博物館が撮影した未公開の動画資料の存在を確認した。織物としても、博物館等における所蔵が少なく観覧可能な資料の絶対数が少ないこともあって、展示の機会も限られてきたことは従前からの課題であったが、根本となる技術保存においても印刷・出版、公開された技法資料が少ないことは、かっぺた織の理解を深めていくうえで、大きな課題になっているといえる。
また、調査者自身が腰機織りの技術に一定の習熟があることを活かして、今回発見した技法資料から得られた情報を用い、現地において技術指導を受けた。その結果、腰機による手織りという特殊な技術的特性から、技術情報に加えて身体的経験に基づく情報が必要になること、すなわち現存する映像や写真には織り手でなければ気付けない身体性を伴う技術が記録として不足していることが確認できた。  本発表においては、かっぺた織についての現状を報告するとともに、民俗技術情報の記録作成と保存において、調査者自身(または協力者)による技術の修得が、記録の質の向上において果たす役割・意義について検討を試みたい。

第3報告
李 江龍氏(愛知県立大学国際文化研究科博士後期課程)

「観光地における鬼イメージの創造と地域の抵抗―中国の豊都鬼城を事例に―」
現在、京都府福知山市の「酒呑童子の里」や香川県高松市の「鬼ヶ島」などのように、鬼の文化を資源として利活用する観光地が非常に多い。当然このような事例は、日本だけに限った話ではなく、中国においても鬼に関する観光地があり、鬼の文化に基づく観光が東アジアで共通する現象になりつつある。例えば、中国重慶市の「豊都鬼城」も鬼に関する観光地として人気がある。
1980年代に成立した「豊都鬼城」は中国の重慶市豊都県に位置し、冥界や鬼を題材として、鬼の文化を宣伝する場所である。そこでは、冥界の鬼たちのオブジェや「天子殿」、「鬼門関」など有名な冥界の風景を再現している。豊都には「あの世の都がある」という伝説が流れたため、「幽都」、「鬼都」などの別称もある。
現在、中国における鬼は、日本でいう「幽霊」のイメージに近い。しかし、豊都鬼城では様々な鬼が登場し、鬼のイメージは幽霊のみに限らず非常に多様化している。これらを踏まえて、観光地における鬼はどのようなイメージを持つのか、そのイメージを形成するには、どのような要素が含まれたのか、という問いが浮かび上がってくる。
一方で、既存の研究は、豊都鬼城の歴史文化と観光開発に注目しているが、観光対象と化した鬼の持つイメージへの関心は充分とは言えない。
観光地において、鬼の姿かたちには二種類ある。第一に、体にたくさんの目がある不気味な千眼鬼の像や巨大な酒桶を抱く酒鬼及び大きな硯を挙げる才鬼のように、身体部位の膨張化と道具の肥大化で作られた鬼である。第二に、所々に見える黒色で飾られた鬼の像である。観光の文脈で作られたため、これらの鬼のイメージが民間信仰と絡み合いながら、観光客の抱いた期待にも応えようとしている。
当然、ゲスト側の観光客とホスト側の地域社会は一枚岩ではなく、常に軋轢が生じている。豊都鬼城の場合も例外ではない。その地域で鬼に関する言い伝えが流布しており、鬼が観光地で潜んでいる軋轢を読み解く媒体となる。
そのコンフリクトから、鬼の娯楽化及び観光開発に対して、ホスト側としての地域社会が観光化された鬼のイメージを自然と受け入れることは難しく、地域社会の方が抵抗する姿勢が見られる。  本報告では、現地調査の成果を踏まえて、中国重慶市の豊都鬼城に焦点を当て、具体的に鬼の姿かたちと鬼に関する説話を手掛かりに、観光地における鬼のイメージの創造を考察しながら、鬼のイメージを通じて地域社会の抵抗の実態を読み解く。

第4報告
福原敏男氏(武蔵大学)
「「全国一つ物一覧表」を作成して思うこと」

発表者は1992年以来、祭りにおいて一つ物と称される役について研究・発表してきた。会場配布予定の「全国一つ物一覧表」は56事例を載せている。
うち13例(コロナ禍前)は現在でも祭りに登場し、喪われた事例も含めて、その多くは稚児や少年がつとめてきた(少女など女性や人形の事例もある)。
一覧表の一つ物の多くは祭礼行列において乗馬で渡り、そのほかの役割はほとんどない(大人に助けられた流鏑馬の射手事例が散見される)。
一つ物役は毎回の祭礼で異なるが、代々決まった家筋・一族、くじ引き、当該の神社などにより決められてきた。
同役に決まると、祭り前に精進潔斎して穢れをさけ、当日に特別な化粧をしたり、白などの装束をまとい、頭に鳥の尾羽をさした笠を被ったりする。
一つ物解釈については、柳田国男や中山太郎などによる草創期の民俗学的研究以来、祭神や去来神が宿る憑坐とされてきた。一つ物には稽古を要する所作は特になく、疲れて居眠りをしたり、何を考えているかわからない無垢・無邪気さに生き神をみてきたといえよう(託宣はない)。
一つ物は童神信仰を背景として、ある祭りにおける唯一の存在ゆえ一つ物と称するとされてきたものの、複数登場する祭りも散見される。
一方筆者は憑坐説に加え、上記の化粧・被り物・装束で飾り馬に乗る姿が多いことから、祭りを飾る渡物風流説を提唱してきた。
しかしながら風流の要件として、当座性(今はやり)や一回性(マンネリをさける)などが指標であるのに対し、一つ物の姿形は画像が遺る中世の事例より現行の祭りまで、簡略化されつつも大きくは変わらない事例が多い。
一つ物は、伝承地において憑坐と解釈されることにより命脈を保ってきた側面もあり、その解釈は憑坐・風流両説の択一というものではなく、両面より考えなければならない。 一つ物との解釈は、文献史料・民俗語彙・画証を前提とするが、祭りに登場する「神聖な稚児や少年」の多くを一つ物とすると収拾がつかず、発表者は右の三条件を全体に一覧表を作成した。

第5報告
星 優也氏(池坊短期大学専任講師・華道文化研究所研究員)
「柳田国男と折口信夫の華道観―雑誌『華道学術講座』所収論文をめぐって―」

本報告は、國學院大學で1950年代から行われた華道学術講座(現、伝統文化に学ぶ講座)の機関紙『華道学術講座』(後に『華道』)に収録された、柳田国男と折口信夫の論考を分析し、民俗学における華道(いけばな)研究の視点と同時代および、後世への影響について考察を試みるものである。
近年、いけばな史の研究は、茶の湯や香の歴史研究に比して著しく遅れている現状がある。報告者は、戦後華道界の再出発として國學院大學華道学術講座が存在し、そこには折口信夫たちが関与しており、「神の依代」をいけばなの起源とする言説との関係を論じてきた。本報告では、さらに具体的な問題に踏み込むべく、柳田国男や折口信夫が華道学術講座で講演した内容について検討する。
雑誌『華道学術講座』には、全集未収録である柳田国男の「華道以前」や折口信夫「神の花、仏の花」が収録されており、柳田と折口の視点を踏まえた華道論が展開している。これらは、従来のいけばな史研究で取り上げられたことはなく、華道研究では無視されてきたといっても過言ではない。また、民俗学史の研究からも指摘こそされてきたが、読まれてきたことは少ない。
本報告では、これらを取り上げて分析することから、同時代の華道界に対する柳田・折口の民俗学が向き合った視点や方法について考察する。また、柳田・折口以後における展開について、民俗学における華道認識の形成と展開との関わりや、華道家側からの受け止め方、さらに茶の湯の民俗研究への射程を広げ、戦後の民俗学と生活文化(ここでは、花・茶・香)の動向および学知の形成について考える。

第6報告
道前美佐緒氏(流通科学大学)
「現代の婚姻儀礼と「家族の物語」―なぜ、いかに語られるのか」

1990年頃から、「オリジナルウェディング」と呼ばれる結婚式と披露宴が一般的になった。そこでは、新郎新婦の生い立ちとなれそめや、友人らとの思い出が、様々に物語られる。オリジナルな「家族の物語」として、個人のありのままの日常の姿、唯一無二の生きられた経験が表現されている。
それ以前の、「誰もが同じ」結婚式・披露宴では、オリジナルな家族の物語は求められていなかった。媒酌人や主賓による型通りの新郎新婦紹介では、誰もが同じライフサイクルであることが前提とされ、学業成績の粉飾もままあれば、婚前の妊娠などの隠蔽は当然のこととされていた。
では、現代において、オリジナルな家族の物語が、なぜ、いかに語られるのか。物語の語り手と聞き手の間には、何らかの変化が起きているのであろうか。
本発表では、結婚式場を中心としたフィールド調査とそこで採集したライフヒストリーから、結婚式・披露宴で語られた「家族の物語」の事例を3つ挙げる。
①「国境を越えて本物の家族になる」。ベトナム人女性との婚姻を受け入れることのできない新郎側の家族や友人たちと、そのような状況下での婚姻に対し不安を抱く新郎新婦の物語。
②「息子の生い立ちと母の人生」。結婚式に意味を感じないため入籍のみにしようとした息子夫婦に対し、結婚式を挙げることを懇願した母。披露宴の最後に語られたのは、台本にはなかった母の人生だった。
③「両親への感謝の手紙」。自分の成長期の親とのエピソードと、それに対する感謝の物語。
3つの事例分析から、「家族の物語」を語る目的は、自分たちのことを理解し、受容してもらうためであり、また、互いの家族・友人との間に交流が生まれることへの期待もみられた。物語を編纂する過程では、自分と出会う以前のパートナーの人生や家族のことを知り、互いの理解を深めていた。
語り手は、語りながら過去の自分を評価し、意味づけていく。聞き手は、物語と自身の経験を重ね合わせて理解したり、家族の絆を再確認したりする。また、家族の物語の共有は、新郎・新婦の社会的ネットワークを、それまでの新郎、新婦それぞれのネットワークから、夫婦を単位としたネットワークへと再編成する過程に効果をもたらしているともいえよう。  また、「家族の物語」が紡ぎだされる舞台裏には、プランナーや司会者などブライダルスタッフの介在がある。ときには業務の範囲を超えて、「家族の物語」の編集に関与する。そして、婚姻後も夫婦と交流する中で、自らが関与して完成した「家族の物語」が2人の幸せにつながるという信念を持つに至っている。多様な生き方が許容される時代に、粉飾のない、オリジナルな「家族の物語」が語られるようになっている。

第7報告
金城ハウプトマン朱美氏(富山県立大学)
「ドイツとオーストリアにおけるエディブルシティーについて」

ドイツやオーストリアでは、近年、住民有志によるアーバンガーデンが増えつつある。たいていのアーバンガーデンは、そのガーデンにかかわっていない人でも散歩することが許されている。花を育てていることもあるが、どちらかといえばメインは野菜や果物、ハーブといった食べることができる植物である。アーバンガーデンの世話をしている人だけが収穫できるところもあれば、だれでも収穫してもいいという、いわゆるエディブルシティー(食べられる町)の取り組みをしているガーデンもある。かつて、公有地で育った野菜や果物の所有者の問題もあったが、各国で各々の自治体がこうした問題点を克服してきている。
自分専用の小さい家庭菜園が連なる場所を散策しているときに、菜園の所有者が手入れをしていれば、会話が始まることもある。庭のそばにはベンチが設置されていることが多く、訪問者はそこでくつろげる。こうして、現在、アーバンガーデニングは住民同士のコミュニティー形成にも一役買っており、住民の満足度を高めたり、観光スポットになったり、二酸化酸素排出量の軽減や地面の温度上昇を抑制したりしているため、地球環境保護の観点からも注目を浴びている。オーストリアのウィーンやドイツには、木を植えたり花壇を作ったりする代わりに、こうしたアーバンガーデンを取り入れて、年間の維持費を減少させている。この取り組みにより、住民の満足度を上げている自治体もあり、庭の世話をしている人だけでなく、自治体も訪問者もウィン・ウィンの関係にある。しかし、日本ではこうした取り組みが、まだ本格的に始まっていないようである。
発表者は、ドイツやオーストリアではアーバンガーデニングに文化遺産が活用され、持続可能なまちづくりに活かされている点に注目しており、人新世の時代を生き抜くヒントが見つかるのではないかと考えている。そのため、昨年からドイツとオーストリアのアーバンガーデニングの調査を始めた。アーバンガーデンを「幸せのナラティブ」を語る場と仮定し、その場の雰囲気について明らかにすること、幸せについての語り(ナラティブ)を収集・分析すること、エディブルシティーの実現に必要な要素を明示することを本研究課題の目標としている  本発表では、ドイツにおけるさまざまな市民菜園の特徴と、ドイツとオーストリアでの調査結果を中心に、萌芽的な研究課題について報告することを目的とする。