2018年

第37回年次大会

日 時 2018年12月9日(日)11:00-17:10

会 場 京都市職員会館かもがわ(京都市中京区土手町通夷川上る末丸町284)大会議室

プログラム
11:00 開 会
11:05-11:50 第1報告 武笠俊一氏「読まれざる名著『婚姻の話』ーその現代的意義ー」
13:00-13:30 会員総会
13:40-14:25 第2報告 宋 丹丹氏「佐渡の岩石伝説」
14:30-15:15 第3報告 倉田健太氏「屋台の新調がもたらす祭礼の拡張――愛媛県西条市を事例に」
15:30-16:15 第4報告 中原逸郎氏「民俗としての花街舞踊–都をどりの創成を中心に–」
16:20-17:05 第5報告 中西 仁氏「神輿場はなぜ荒れたのかー柳田國男『祭礼と世間』から考えるー」
17:10 閉会
18:00-20:00 懇親会

発表要旨
第1報告 武笠俊一氏
「読まれざる名著『婚姻の話』ーその現代的意義ー」
柳田国男の『婚姻の話』は昭和23年に出版された。
若い一般読者を想定し、岩波書店から出版されたものであったが、この書は当時の読者に広く読まれたとは言い難い。
また後学の婚姻史研究者たち(有賀喜左衛門、大間知篤三、八木透等)に言及されることは多くなく、
民俗学の世界でも彼の代表作とは見なされてこなった。
つまり、『婚姻の話』は一般読者にも研究者にも、きわめて不人気な本であった。
それは何故か。1はこの書がもつ内在的矛盾である。柳田家の婿養子となった後の国男の生き方は、
この書における「婚姻の有るべき姿」の主張とはするどく対立するものであった。
この矛盾のためにこの書の内容は曖昧で難解きわまりないものとなった。
そして第2の理由は、この書が基本的に戦後の新しい時代の求めに応じて書かれたにもかかわらず、
その後の日本社会が柳田の主張とはまったく反対の方向に進んだことにある。
こうしたふたつの要因によってこの書は「読まれざる名著」となったが、
戦後の遺産がほとんど崩壊してしまった今こそ、この書の再評価が行われるべきであろう。

第2報告 宋 丹丹氏(総合研究大学院大学・国際日本文化研究センター)
「佐渡の岩石伝説」
伝説は民俗学において重要な一領域を占めている。
中でも、岩石伝説は柳田国男の『日本伝説名彙』に収録された六部門の第二部門を占めるように、その重要性が窺える。
佐渡は民俗の宝庫として早くから注目されているから、『佐渡の年中行事』をはじめ、
『私の日本地図 佐渡』や『佐渡 相川の民俗』などがある。中には伝説に関する著書も少なくない。
1976年に角川書店によって刊行された『日本の伝説9 佐渡』は佐渡全域における伝説を収録している。
これらの伝説著書において岩石伝説は目立つ存在であるが、佐渡の岩石伝説に関する先行研究は少ない。
このことから発表者は今年の6月末に同地における岩石伝説についてフィールドワークを行った。
フィールドワークの結果、島の地理的要素や流人の島であったという歴史的背景などが
佐渡における岩石伝説の形成に大きな影響を与えたことが認められた。
また、佐渡の農村の過疎化と高齢化によって、普段願掛けに伝説ゆかりの地を訪れる信仰者が減少していることや
若者の関心が薄いといった現状も明らかになった。
発表では、佐渡における岩石信仰の伝承の展開またその現状について報告する。

第3報告 倉田健太氏(総合研究大学院大学文化科学研究科)
「屋台の新調がもたらす祭礼の拡張――愛媛県西条市を事例に」
本報告では、愛媛県西条市・伊曽乃神社の氏子区域内で行われている、二重氏子地区の神社祭礼の実践を事例に、
奉納屋台の増加がもたらした祭礼の変化を論じていく。
 例年、10月15日、16日に行われる伊曽乃神社例祭(西条まつり)には現在、
「神戸」「大町」「神拝」「西条」「玉津」という五つの校区(地区)から成る氏子区域から、
77台のだんじりと4台のみこしと呼ばれる屋台が出され、御神輿とともに市内を巡行する。
この81台という奉納数は、中・四国地方でも類をみない規模といえるが、
そのうち26台は、当地で1980年代に起こった「新調ブーム」と称される現象とともに登場し、新たな運行を始めた。
 短期間に屋台が急増したことで、従来通りの斎行が困難となった同社例祭では、
運行経路の変更や通過時間の明確化・厳格化が行われていく。
屋台においても、道路使用や騒音を巡って、運行に差し止めがかかる事態を確かめられるが、
それに並行して、例祭の前週に銘々、二重氏子となる神社の祭礼に屋台を出す、
あるいは祭礼自体の創出が進んでいる。そこで、二重氏子となる屋台が各神社を舞台に、
いわば新たな運行の場を確保していく現状について検討する。

第4報告 中原逸郎氏(京都楓錦会)
「民俗としての花街舞踊–都をどりの創成を中心に–」
本発表は都をどりを中心に花街(かがい)舞踊の創成に注目した。
花街は芸舞妓が芸(芸能と同義)を披露し、地元の花街言葉によって顧客を応接する場である。
京都には天正年間(1573-1592)に官許された島原の他に、祇園甲部(東山区、祇甲と略す)、
上七軒等五花街が存続し、京都以外の花街は舞妓を含む京都花街の組織パターンに収斂しているかに見える。
近代的な花街舞踊(舞台舞踊)の開始は、祇甲が嚆矢を成し、
平成30年(2018)には明治5年(1872)の初演から146回の長期に亘る芸の発信が行われた。
会期1ヶ月間で10万人の観客が訪れ数億円の売り上げを生み、1964年の東京オリンピック時には
外人客のため春秋2回の都をどりが開催されたインバウンドの魁でもある。
 発表者は京都花街の影響力の根底に花街舞踊による芸の発信力以外に京都民俗の豊かさが作用していたと考え、
茶道、陶芸、花街の運用規範等民俗的な事象と絡めて記す。

第5報告 中西 仁氏(立命館大学・佛教大学大学院)
「神輿場はなぜ荒れたのかー柳田國男『祭礼と世間』から考えるー」
祭礼が社会や時代状況にどのように影響されてきたのか、
とりわけ明治維新を画期とする「近代化」は祭礼にどのような影響を与えたのか、が主たる問題意識である。
祭礼と社会との関係について夙に示唆的な考察を行ったのは柳田國男である。
柳田は『祭礼と世間』の中で、祭礼で神輿が暴れることは偶然ではなく、
神輿舁たちの「公怨」の現れであると述べている。
近代の京都の祭礼では神輿が暴れたり、神輿場で抗争が起こることがしばしばあった。
本研究では明治期における今宮祭と祇園祭での「神輿荒れ」の事例を取り上げ、
それらの「神輿荒れ」が「公怨」に基づくものであることを、先行研究や諸資料を基に解明していきたい。
そして「公怨」に基づく「神輿荒れ」が起こるのは、近代の祭礼に特徴的な現象であること。
「公怨」に基づく「神輿荒れ」とは、神輿場という公共空間で起こった
公共性を帯びた異議申し立てである、という仮説を提示する。

第312回

シンポジウム「明治150年〜維新京都神話を検証する〜」

日 時 2018年12月8日(土)13:30〜16:50
     趣旨説明 13:30〜13:40(10分間)
     第一報告 13:40〜14:20(40分間)
     第二報告 14:20〜15:00(40分間)
     第三報告 15:00〜15:40(40分間)
     休  憩 15:40〜15:50(10分間)
     全体討論 15:50〜16:50(60分間)

会 場 京都市職員会館かもがわ(京都市中京区土手町通夷川上る末丸町284)

開催意図
今年、平成30年は「明治150年」として各地で様々な催事が行なわれた。
京都でも様々な取り組みがなされていったが、
実は京都にとって明治維新は苦難の歴史の始まりとして記憶されている。
幕末の動乱では、京都は二度の戦争の舞台となり、
戦火により焦土と化した町の復興もままならぬ中、維新を迎えると天皇が東遷し、
政庁が東京に移る事によって政治経済の中心地という位置から転落したのが
明治時代初頭の京都の姿であった。
そして京都では、明治維新の後に近代化が促進され、新たな産業が勃興し、
教育が盛んに行なわれるなど、
新時代への対応が市民主導で行なわれていったという語りが定着している。
学校を建設し、琵琶湖疏水を完成させ、博覧会を誘致するなど、
人びとの力が伝統と先進知識が融合した新しい都市京都を切り開いたのだというものである。
その一方で、京都には歴史文化都市としての側面も期待されており、
明治維新を挟んだ京都の語りには多様な姿が内包されている。
 京都の人びとが語る「明治」とは何であり、その実際とはどのように符合し、
またどのように乖離しているのであろうか。
本シンポジウムでは、明治150年をひとつの機会とし、
明治時代が一種の神話として語られる京都の諸相を題材として、
京都の民俗の在り方の一端についてディスカッションを試みるものである。

パネリスト
和崎光太郎氏(京都市立学校歴史博物館)
「番組小学校の実像」

村山弘太郎氏(京都外国語大学国際貢献学部)
「菊御紋の統制」

村上紀夫氏(奈良大学文学部)
「半井真澄の護王神社」

司会
橋本 章 氏(京都文化博物館)

第311回

日 時 2018年10月26日(金)18:30-21:00

会 場 ウィングス京都2階ビデオシアター

発表者 金城ハウプトマン朱美氏(関西学院大学他非常勤講師)

論 題 ドイツの無形文化遺産―現状と展望―

要 旨
ドイツは2013年にユネスコ「無形文化遺産の保護に関する条約」を締結し、
それ以来、無形文化遺産を毎年選定している。
現在、ドイツユネスコ国内委員会により認定された無形文化遺産は72件にのぼる。
また国際レベルでは、協同組合理念(Genossenschaftsidee)他2件が
「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に登録されている。
発表者は、ドイツの無形文化遺産をドイツ文化ならびに(現代)社会の表象ととらえ、
口頭発表を行ってきた。
本発表では、ドイツの無形文化遺産の特徴を再確認し、
発表者によるこれまでの研究発表をさらに発展させ、
ドイツにおける無形文化遺産の現状と展望について考察したい。

国際シンポジウム「地域学としての民俗学と国際化-台湾と京都の実践」

國際論壇 「作為區域研究的民俗學及其國際化-台灣與京都的實踐」
(国際シンポジウム「地域学としての民俗学と国際化-台湾と京都の実践」)

日 時  2018年9月1日(土)13:30-16:30(13:00開場)  シンポジウム
          2日(日)9:30-17:00        研究報告
      3日(月)9:00-21:00(目安)    エクスカーション 
 
会 場  国立台北芸術大学国際会議場(112台北市北投區學園路1號)

主 催  國立台北藝術大學建築與文化資產研究所・京都民俗学会

開催趣旨 
台湾と京都における、民俗学の独自の発展経過を、アカデミズム、在野との関係、
そして文化施策への展開から、昨今の無形文化遺産までを視野に入れて比較することを通じて、
民俗学的実践を問う。

プログラム
9月1日(土) シンポジウム
総合司会 林承緯氏(台北芸術大学)、村上忠喜氏(京都産業大学)
報告者
・謝國興氏(中央研究院)
 「京都祇園祭與臺灣民俗祭典/一些象徵性儀式與符號的初步觀察比較」
・市川秀之氏(滋賀県立大学)
 「地域社会の変容と無形民俗文化財の保存継承」
・王嵩山氏(逢甲大学)
 「近半世紀台灣民俗及民俗學的演變:人類學的觀察」
・橋本章氏(京都文化博物館)
 「歴史文化都市「京都」の形成と博物館の役割―平安博物館の活動から―」
・蒋竹山氏(東華大学)
 「寫真館與寫真會:日治臺灣的攝影小史」
・菊地暁氏(京都大学人文科学研究所)
 「京大民俗学会から『民俗台湾』へ:あるいは、もうひとつのカフェ・アルケオロジー」
コメンテーター 島村恭則氏(関西学院大学)
通訳 今中崇文氏(京都市文化財保護課文化財保護技師)他

9月2日(日) 研究報告(報告時間15分 質疑応答12分)
・第1報告(9:30-9:57)
 佐藤弘隆氏(立命館大学大学院文学研究科)
 「明治期の京都における祇園祭船鉾の復興要因
  ―地域資料のデジタルアーカイブとその活用―」
・第2報告 (10:00-10:27)
 高木秀和氏(愛知大学非常勤講師)
 「地域の歴史・文化を知ることから地域振興へ-遠山常民大学受講生の活動から-」
・第3報告 (10:30-10:57)
 王婷儀氏(國立臺北藝術大學建築與文化資產研究所碩士)
 「民俗知識書寫與考現學脈絡的再發現-以《民俗台灣》為例」
・第4報告 (11:00-11:27)
 荒木真歩氏(神戸大学大学院国際文化学研究科)
 「無形民俗文化財への地元の解釈と伝承-奈良県十津川村湯之原の盆踊りを事例に-」
・第5報告 (11:30-11:57)
 三隅貴史氏(関西学院大学大学院社会学研究科)
 「東京圏における祭礼の維持と神輿会」
・第6報告 (13:30-13:57)
 黃偉強氏(中央研究院臺灣史研究所約聘助理)
 「北港進香團的歷史演進研究」
・第7報告 (14:00-14:27)
 岡本真生氏(関西学院大学大学院社会学研究科)
 「ヴァナキュラー空間の生成-天誅(忠)組記念館を事例として-」
・第8報告 (14:30-14:57)
 宮澤早紀氏(佛教大学大学院文学研究科)
 「青ヶ島の巫俗から考える日本の巫者研究」
・第9報告 (15:15-15:42)
 陳志昌氏(國立成功大學歷史系博士候選人/國立空中大學兼任講師)
 「科學知識的民俗化—以臺灣曆本為討論題材」
・第10報告 (15:45-16:12)
 東城義則氏(国立民族学博物館外来研究員/(一財)奈良の鹿愛護会臨時研究員)
 「伝統行事「鹿の角きり」の保存・継承をめぐる動向」
・第11報告(16:15-16:42)
 許嘉勇氏(國立清華大學臺灣語言研究與教學研究所 博士班研究生)
 「歌仔冊《最新十二碗菜歌》的字詞義理」

9月3日(月) エクスカーション
見学予定地
・戦前の北投温泉公共浴場(現北投温泉博物館)
・普済寺
・北投温泉街(新北投エリア)
・中元普度(施餓鬼法会)の儀礼見学(台北・士林地域)
・龍山寺
・祖師廟など台湾寺廟とモンガ夜市(台北・萬華地域)

第310回

第309回

日 時  2018年7月27日(金)18:30-21:00
会 場  ウィングス京都セミナーA

発表者  柿本雅美氏(大津市文化財保護課)

論 題  「家の名」をめぐる民俗学的研究

要 旨
本発表では、屋号、通名、苗字を「家の名」として捉え、
それぞれの関係性や個人名との関わりを分析し、
「家の名」が地域社会の中でどのように位置づけられるのか、
家意識の問題を交えながら考察していく。
「家の名」は、地域社会のなかで共通の認識をもって家々を区別する名前、
家の系譜を示すことのできる名前と規定したい。
また屋号は個人ではなく、家を指す際に用いられる名前であり、
家の系譜を示すことのできる名前。
通名は、近世において苗字を公称できない庶民が使用した名前で、
家の系譜を表わし、家督相続の際に受け継がれ、代々襲名する名前。
苗字は明治期になって庶民にも公に名乗ることが許された
地域社会の外においても有効な名前であり、
家と個人の両方を指す働きを有する名前である。
これら屋号、通名、苗字はそれぞれ関係しながら成り立ってきたにも関わらず、
個別に研究が行なわれ、
また近世から近現代の連続性を視野に入れた研究が進められてこなかったことを踏まえ、
総合的に論究する。

第308回

日 時  2018年6月25日(月)18:30-21:00
会 場  ウィングス京都セミナーA

発表者  マーク・テーウェン 氏 (Mr.Mark Teeuwen)
    (オスロ大学教授、京都大学人文科学研究所招聘研究員)

論 題  切支丹と妖術―京阪切支丹事件を読み直す

要 旨
文政10年(1827)正月に、大坂東町奉行所は、稲荷明神の奇瑞をかたって
十数人の町人から金品をだまし取った疑いで、さのという女を捕らえた。
三か月の吟味の末、さのは「切支丹」の「天帝如来」に対する修法を
行っていたことを認めた。
さのの師匠とそのまたの師匠を探し出すことによって、
事件の元が京都にあることが判明した。
「邪宗門」の容疑をかけられた人物に、さののような女性の「稲荷下げ」だけでなく、
男性の公家家来、辻占い、医者、堕落の禅僧なども含まれていた。
全部で十数名からなる、京都と大阪にまたがる秘密の信仰集団の存在が確認された。
大坂東町奉行所の吟味書と、世間の噂を集めた『浮世の有様』などを基に、
この事件の主要な人物、そしてその「切支丹修法」について考えたい。
邪法の「妖術」に対する危機感を痛切に感じさせる資料もあれば、
切支丹をただの行政上の迷惑としか思わない見方を示唆する資料もあり、
この事件は文政期という画期的な時代における切支丹像を考える資材を
提供してくれると思う。

第307回

日 時  2018年5月24日(木)18:30-21:00
会 場  ウィングス京都セミナーB

発表者 周 耘氏(武漢音楽大学教授/長江伝統音楽文化研究センター主任/
          国際日本文化研究センター外国人研究員)

論 題 悠久なる郷の響き――黄檗声明の中国的要素

要 旨 
黄檗宗は日本仏教の禅宗に伝わる三大宗派のひとつであり、
明清代に中国から渡ってきた臨済宗の高僧隠元隆琦によって創立されました。
日本に伝わる仏教諸宗派のなかでも、黄檗宗は明清代の大陸的な仏教要素を色濃く残し、
「念仏禅」という修行方法を有することが特徴的です。
特に、黄檗声明と呼ばれる当該宗派の儀礼音楽は、
1650年代に宗が創立してから現在に至る3世紀半を経てもなお、
明清代仏教音楽の様式や詞章の内容、その他諸要素を多く保ってきていることから、
「悠久なる郷の響き」と呼ぶことができましょう。
本発表では、フィールドワークと文献考察をもとに、
黄檗宗声明という明清代仏教音楽がいかに伝承され、
また日本化してきたのか、その変遷の経緯を示すとともに、
ディアスポラという視点から「悠久なる郷の響き」を形成した
社会的・歴史的文化要因を考察します。

第306回

日 時  2018年4月27日(金)18:30-21:00
会 場  ウィングス京都ビデオシアター

発表者 星 優也氏(佛教大学大学院/日本中世宗教文化史・宗教芸能史・神話史)
論 題 神楽・天岩戸起源説の形成と変貌

要 旨 
神楽は天岩戸神話に由来する―。今でもそうした言説を聞くことが多い。
現に各地で岩戸開きを再現した「岩戸神楽」が行われることが、
神楽が天岩戸に始まるという理解の根拠になっているといえよう。
また近年は、二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピックの開会式で
岩戸神楽の公演を求める動きがあるほど、
神楽=天岩戸神話という認識が定着していることが窺える。

だが『古事記』『日本書紀』には「神楽」という言葉すらない。
では、いつから天岩戸神話と神楽が結び付き、今日の理解にまで展開したのか。
時代ごとの神楽が持つ意味を再検討するとともに、
神楽・天岩戸起源説の形成過程の考察が求められているのである。

以上の問題意識に基づき、本報告は神楽の初出である『古語拾遺』を起点に、
『先代旧事本紀』、『神祇官勘文』、『奥義抄』、信西『日本紀鈔』など、
平安期を通した神楽・天岩戸起源説の形成を捉え、
中世以降における変貌の歴史叙述を試みる。

第305回談話会(第5回修士論文報告会)

日 時  2018年3月25日(日)14:00~17:15
会 場  京都市職員会館かもがわ(京都市中京区土手町通夷川上る末丸町284)
共 催  日本民俗学会

プログラム(報告60分、質疑応答30分目安)
14:00 開会
14:05~15:35 第1報告
小森沙耶香氏(佛教大学大学院文学研究科歴史学専攻)
「現代社会における育児儀礼の民俗学研究-大阪・京都の事例を中心に-」
15:45~17:15 第2報告
アルカラス ジョルジオ氏(滋賀県立大学人間文化学研究科)
「「狐」伝承の変容」
17:15 閉会

概 要
第1報告 小森沙耶香氏(佛教大学大学院文学研究科歴史学専攻)
「現代社会における育児儀礼の民俗学研究-大阪・京都の事例を中心に-」
本研究は育児儀礼を産育儀礼の代表として扱い、なぜ産育儀礼を行うのか、
その理由を大阪と京都の事例を中心にして考察する研究である。
本研究の目的は2つある。
1つめは、産育儀礼の実態を明らかにし、これらの儀礼が持っている意義を
分析・考察することで民俗学が子育てに対してできることを明らかにすることである。
2つめは、ライフスタイルの多様性から祝い方ではなく、
執行者である親の「心」に焦点を当て、
執行者の認識という点から、産育儀礼の捉えなおしを試みることである。
現代人にとっての産育儀礼の位置づけを明らかにする。
主な対象時期を高度経済成長以降とし、そして、親の内面を調査するにあたり、
対象地域を現代における儀礼の実態を把握する上で
最も適していると考えられる「都市」をフィールドとして、大阪・京都を中心とする。
方法として全体分析はアンケートを中心に、
現役子育て世代には聞き取り調査を中心に実施した。
傾向として、若い親ほど儀礼に対して知識がないため、
実母のいうがままになってしまうということがわかった。
また、近年ではSNSで写真を上げるため、
ママ友同士の目という新しいプレッシャーが生まれている。
そこから育児儀礼が親が子に対して深い愛情をかける手段であるという側面が見えてきた。
民俗学が子育てに対してできることとは、
育児儀礼での場合は親がやりたいからやるのだという意識を持つことを
呼びかけることである。
伝統やしきたりととらえることからきっちり・しっかり行おうとするために、
自身が子どものときにお祝いされた経験や世代差、地域差から
親族内でトラブルの元となる。
儀礼は親がやりたいからすると考えるだけでも心が楽になるのではないか。
「しなくてはならないもの」ではなく、もっと柔軟に受けとめたい。

第2報告 アルカラス ジョルジオ氏(滋賀県立大学人間文化学研究科)
「「狐」伝承の変容」
本研究のテーマとして狐が登場する伝承の変容を選び、
近世から現代にかけて「狐」伝承に注目して、
その特色を紹介し、伝承に対するステレオタイプのイメージの修正を図り、
そして狐の性格の再検討をしてみたい。 
先行研究において狐は妖怪として考えられてきたが、
狐の特徴と妖怪の特徴には整合しない部分があり、
妖怪としての狐という前提を再検討する必要がある。
研究方法として近世の場合は『日本随筆大成』や『甲子夜話』などの
活字になった近世随筆において「狐」伝承を可能な限り集めた。
伝承の場合は、随筆の発行年代に近い話が多く、
筆者自身が聞きとって記録したものと考える。
また、狐に対する辞典的なものをはぶき、伝承のみを研究対象にした。
得られた219事例を分析することによって先行研究において
一般的と考えられている狐の特徴は実状と大きく異なり、
その特徴は近世の狐に当てはまらないことが明らかになった。
次に、近代と現代の伝承に注目した。随筆の時代が終わったので、
伝承は昔話集や民俗調査報告書などという異なるメディアへ移った。
それゆえ、研究方法としてこの新しいメディアを選び、できる限り多量の伝承を集めた。
また、聞き取り調査を行うことによって近年の伝承を分析することができる。
695事例を分析することによって、現在の「狐」伝承の特徴や狐の性格を明らかにする。
近世、近代、現代の「狐」伝承の分析し、伝承の類型、神の使わしめとしての狐、
狐の変化した姿とその女性化、
狐の多様な性格と狐が出現する時間と場所などについてより詳しく論じる。
そのことによって、近世、近代、現代の伝承の性格を比較的に検討し、
時代が変化した結果としてどのように伝承が変容してきたか、
狐そのものはステレオタイプ化したかということを明確にする。

第304回談話会(第9回卒業論文報告会)

日 時  2018年2月25日(日)13:00~17:15
会 場  立命館大学衣笠キャンパス 清心館3階 533・534号室(キャンパスマップ⑩)
     2会場での開催です
共 催  日本民俗学会
        
概 要

A会場・533教室

第1報告 山崎美稀氏(立命館大学文学部)
「映像コンテンツと地域社会の関係性―滋賀ロケーションオフィスを事例として―」
2000年代、フィルムコミッション(以下、FC)が日本各地に設立された。
FCは映画やテレビ番組など、あらゆるロケーション撮影を誘致し、サポートする非営利公的機関である。
これまでの研究では、FCの紹介や活動報告などから、FCの現状や政策としての役割、
制作者との関係に焦点が当てられてきた。
本発表では、滋賀ロケーションオフィスを事例として、FCと地元住民との関係について考察する。
アニメ・映画化にともなって発足した組織と、映画撮影時に食事提供を行った店舗への聞き取り調査を行い、
FCと地域社会との連携、地域について関係を明らかにする。
調査の結果、ロケ地の提供やエキストラ、地元企業の協賛などあらゆる場面で地元住民の積極的な協力が行われていた。
なかでも、「ロケ飯」というケータリングの提供については、
その場所的・時間的な制約のなかから地元飲食店が決定される。
地域貢献のため、厳しい条件を承知で協力している飲食店の存在は、地域社会がFCを支えている例である。

第2報告 岡崎梓織氏(滋賀県立大学人間文化学部)
「滋賀県における民俗宗教的聖地の展開」
古くから村落内で信仰されてきた小祠・小寺院が、いつしか村落外で信仰集団を複数獲得し、
小規模ながらも広域的信仰を獲得しているという事例は多く存在する。
こうした聖地については都市部における事例が多く報告されてきたが、
都市とは遠く離れた地域の村落でも多くの実例が存在する。
既成宗教と密接な関係を持たない素朴な自然信仰を基盤にしてきたこのような聖地が、
鉄道や周辺の都市化などの影響を受けずにいかにして信仰者を獲得していったのか。
本報告では重層的な宗教要素を抱えるこうした聖地を「民俗宗教的聖地」と定義したうえで、
4ヶ所の実例を挙げ、それぞれの聖地を支える村落組織・講集団・宗教者の存在、
信仰集団の軋轢や他宗教との関わり等を比較する中で、
一聖地が地域的信仰から広域的信仰へと展開していく経緯を考察する。
また都市部の民俗宗教的聖地と非都市部の民俗宗教的聖地を比較し、
非都市部で起こっている社会背景を踏まえてそれぞれの聖地の特徴について論じる。

第3報告 石田萌寧氏(天理大学文学部)
「凧揚げの民俗-長崎県壱岐島の鬼凧を中心として-」
今回の研究目的は、鬼の絵が描かれた凧から玩具に表象された妖怪に対する畏敬や
民間信仰の文化的背景を分析することである。
本稿で研究対象とする鬼凧は壱岐の郷土玩具で、長崎県の郷土凧である姿羅門凧の一種である。
まず妖怪が凧に描かれていたことに関して、香川雅信は『江戸の妖怪革命』において、
見た目の滑稽さや注目を集めるという理由で描かれていたとしていた。
しかし研究を進めていく中で、一概に娯楽として描かれ始めたとは言い切れず、
研究をする上で、凧の絵は何かしらの民俗的意味を持って描かれ始めたと仮定する。
先行研究として凧にまつわる信仰や各地に見られる凧揚げの風習から見た凧に対する考えと、
玩具に描かれるようになった妖怪に関する研究をあげる。
鬼凧に対する研究として、絵柄の由来とされている二つの話のあらすじをまとめ、
壱岐の鬼凧と他地域で伝わる同系統の鬼が描かれた凧を写真から比較している。
また壱岐島で鬼凧職人をしている小金丸英美を紹介し、小金丸への聞き取り調査から得られた成果を示す。

第4報告 河上伸太郎氏(佛教大学歴史学部)
「宇治の橋姫伝説の成立と変遷」
本研究は、「宇治の橋姫伝説」がなぜ京都府宇治市で生まれたのかについて、
宇治の歴史的背景から探るとともに、橋姫が古代・中世・近世の各時代を通じてどのように扱われていたか、
その伝承の変遷をたどり、宇治の橋姫が如何にして「鬼女」へと変貌していったのかについて
明らかにすることを目的としている。

第5報告 金濱夏央氏(ものつくり大学技能工芸学部)
「文化財復原整備にまきこまれたモノグラフ研究」
発表者は、大学が所在する地域の近代文化財の復原整備事業(建造物の移築・保存修理工事)に関わる機会を与えられ、
最終的に建物の外観および内観の塗装色復原考察に携わった。
具体的作業としては、現地の建物痕跡調査、外部委託した古写真カラー解析結果との照会、
先行事例および類例調査との照会、最終的には図面に着色し文化財保護審議会へ提案した。
結果、提案通りの塗装色が認められ、この年度末には工事が完了し、
秋には休憩所兼集会所として活用される予定である。
しかし正直なところ、先述した様々な調査それぞれの相互関係が、よく分からないままに取り組んでいたのである。
私自身は、所属学科での卒業研究発表会へ向けて、何度も発表練習をしている途中、
少し距離を置いて作業を振り返った時に、すべての調査が理路整然とつながった。
この報告は、私自身が納得するまでの七転八倒の記録に基いている。

第6報告 原 秀斗氏(佛教大学歴史学部)
「国府宮のはだか祭の民俗学的研究」
本研究は、愛知県稲沢市の尾張大國霊神社(通称国府宮)において
旧暦正月に行われる「儺追祭」(通称はだか祭)をめぐる民俗学的研究である。
本論文では「儺追祭」を「修正会の変容」と位置づけ、
このまつりの主役ともいえる「儺追人」と「神男」のはらたきに着目し、
他地域の修正会やはだか祭との比較を試みることで、国府宮はだか祭の独自性を明らかにするものである。

B会場・534教室

第1報告 渡 勇輝氏(佛教大学歴史学部)
「柳田国男と「神道」―「神道私見」を中心に」
柳田国男の著作には「神道」に関わる言説が多く見受けられるが、
柳田と「神道」の関係を検証しようとする動きは、柳田に関する膨大な研究のなかでも存外に少ない。
その背景には、柳田の神道論を「民俗」として総括する民俗学と、柳田の神道研究を異端と見なす神道学、
柳田の「固有信仰」に「国家神道」の残影を見る思想史という、各学問領域の方法的な問題と交流の欠如があり、
問題が空白のままに残されていると言える。
卒業論文では、従来の本質論的な柳田研究を問題とし、同時代性の観点から、
とくに柳田の神道論の嚆矢となる「神道私見」を、神社界の動向と重ねて検討した。
従来、「神道私見」自体に高い価値は認められてこなかったが、
柳田による「神道私見」の表明は、大正期における神社非宗教論と家族国家観という問題と不可分な関係にあり、
史としての事件であった。
本報告では、「神道私見」の読解とともに、柳田の神道史上の位置を確認する。

第2報告 澤山知里氏(関西学院大学社会学部)
「「大阪木材商三講」の民俗誌―舞台講・伊勢講・伊太祁曽講―」
本研究は、大阪府で材木業を営む木材商の人びとが形成・維持してきた「大阪木材商三講」について、
大阪府にある業者や三講に関係する寺社をフィールドに実地調査を行なうことで、
各講の特徴、役割とそれらの関係性などを明らかにしたものである。
大阪の木材商は、舞台講、伊勢講、伊太祁曽講の3つの講を組織しており、
それらの総称が「大阪木材商三講」である。
このうち、舞台講は、現在も大規模な法要を行なっているが、
その性質は、かつての、四天王寺への奉賛、寺社勢力との結びつきを目指すものから、
舞台講員らの先祖供養へと目的が変化している。
また、1983年に正式に講としての登録がなされた伊勢講は、レクリエーション的要素が強い。
さらに、1975年に、木材商が自ら木の神様を探索・発見した事によって成立した伊太祁曽講は、
「同業者信仰」に直結した意味合いをもって木材商たちにとらえられている。

第3報告 井口真衣氏(滋賀県立大学人間文化学部)
「滋賀県における葬送と近隣関係」
葬送儀礼は冠婚葬祭のなかの一つであり、現在でも一般的に行われている。
村の中で行われてきたさまざまな付き合いは失われ、現在も付き合いとして残っているのは葬送だけである。
葬儀業者が現れる以前、村落のなかで葬送を中心とした助け合いはどこの地域でも見られた。
だが助け合いといっても誰でもいいというわけでなく、家ごとに一定の線引きが存在すると考えられる。
それは村の中で定められた組であったり、家同士のみの間で形成される関係である。
このような手伝い合う関係は世代を超えても継続し、
葬送というつながりをもとに近隣付き合いは長い間習慣として残っていた。
しかしその多くはここ十数年のうちに消滅してしまっている。
葬送に関わる近隣関係はそれぞれどんな性格を持ち、どんな働きをこなしていたのかを考察する。
また、そこから考えうる葬送の近隣関係が残り続ける条件はなにかを近江の事例をもとに明らかにしていく。

第4報告 福村悠馬氏(立命館大学文学部)
「『旅程と費用換算』にみる観光行動の変容―1920年~1940年の香川県を事例に―」
ジャパン・ツーリスト・ビューローが発刊した『旅程と費用概算』は、
内地および外地へのモデルルートを提示した戦間期の旅行案内書である。
同書を用いることで、当時の観光行動の分析が可能である。しかし、それは外地を事例とした研究に限定されている。
そこで、本発表では、日本国内(内地)における旅行者の観光行動を分析した。
その際、香川県への旅行を事例とし、各年度の旅程を復原した。
そして、旅程の経年的な変化とその要因を、社会的なイベントをもとに考察した。
その結果、鉄道の敷設および国立公園の指定が観光行動を規定していた。
1920年代に各地に鉄道が続々と敷設され、各都市間が1つの旅程で結ばれ、
旅行者は沿線の観光地へ訪問するようになった。そして、1934年には、日本初の国立公園が指定された。
国立公園指定へ向かうにつれ、人々は国立公園に関連する景勝地を訪問するようになり、
以前より著名であった観光地も、公園に関わる景観がアピールされるようになった。

第5報告 出口真琴氏(椙山女学園大学国際コミュニケーション学部)
「万葉集巻二の一〇七・一〇八番に現れた「山」と境界」
万葉集巻二の一〇七番と一〇八番の和歌の、山の描写と人間の恋心が通じ合った世界観に感銘を受け、
二首の和歌の山の印象を追求した。
その際、おおよそ同時代について書かれていると考えられる古事記下つ巻の、山の記述を参考にした。
一〇七番一〇八番とその前後に収録された和歌とを合わせると、大津皇子に関する物語になると言える事から、
大津皇子に関する物語全体を通して一〇七番と一〇八番の山を検討した。
西郷信綱の『萬葉私記』によれば、行き過ぎ難き「秋山」であることは、同時に「死のイメージを暗示する」。
さらに古事記下つ巻の山を、西郷の『古事記の世界』の範疇表に基づいて分類し、山について考察を進めた。
大津皇子に関する物語全体において、山は死のイメージをもつと言えるだろう。
また、古事記下つ巻には、どの範疇にも分類できない山が存在する事が分かった。
これは境界の問題に繋がるのではないかと考えられる。

第6報告 福島聖也氏(関西学院大学社会学部)
「大都市近郊地域における現代修験寺院の形成と展開―西宮市の事例―」
本研究は、神戸市と大阪市の間に位置する兵庫県西宮市における二つの修験寺院、
神光寺(上ケ原)と不動寺(山口町)を対象に実地調査を行なうことで、
現代における修験寺院の形成と展開、そこに見られる修験者による宗教実践のあり方や
修験寺院の持つ社会的機能などについて、現代民俗学的に明らかにするものである。
神光寺については、一九七〇年代における上ヶ原地域での住宅開発と農村の変化が寺院創設を促した経緯、
寺院創設の母体が「上ケ原行者講」という講組織であったこと、
行者講による宗教実践の実態などについて明らかにした。
一方、不動寺については、二〇〇六年に、大阪・京都方面の檀家や信者を基盤として、
山口町の住宅展示場のモデルハウスを活用して寺院創設がなされた経緯、
同寺住職の宗教的原点である「薩摩修験道」との関わりなどについて明らかにした。

第303回

日 時:2018年1月26日(金)18:30-21:00
会 場:ウィングス京都セミナーB(中京区東洞院通六角下る)

発表者:小林奈央子氏(愛知学院大学)

論 題:日本の民俗学研究と「女性」―ジェンダー研究の視点から―

概要:
日本民俗学における女性研究では、女性たちの日常的な暮らしに着目し、
<家>のなかで女性が果たす役割の重要性を論じてきた。
これは言わずもがな日本民俗学を確立し、
女性の力を重視した柳田國男の影響によるものである。
家父長制が整備された明治期に、柳田が女性の役割の重要性を見出し、
女性の日常生活に着目した点は画期的であり、
女性研究に大きな成果をもたらした。
しかしその一方で、日本の民俗学研究において「女性」は、
<家>のなかでの主婦権や霊的優位性、
「女性の視点で女性を見る」といった観点から長く研究されることとなった。
そうした研究の中で、いつしか女性の性質は固定化、本質化され、
また、女性研究者が「同じ女性という立場」から
女性を調査・研究することが奨励される状況を生んだ。
しかし、女性の性質の固定化・本質化は、個々の多様な女性の経験を、
“女性固有”の普遍的なものと断じてしまいがちであり、
また、女性研究者が女性を研究対象とすることは、
同じジェンダーを共有しているという意識から、
被調査者の搾取につながる危険性をはらむ。
これからの日本民俗学研究において、
女性にかかわる研究はどのような視点と方法をもって臨むべきなのか、
ジェンダー研究の視点から検討する。

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