2016年

第35回年次研究大会

日時 2016年12月4日(日)9:20-17:35
会場 京都市職員会館かもがわ

発表要旨
第1報告 星 優也 氏(佛教大学大学院文学研究科博士後期課程)
「近世薩摩の神舞と中世神道説―藺牟田神舞「花舞」における「法性神」をめぐって―」
藺牟田神舞とは、現在の鹿児島県薩摩川内市祁答院町藺牟田でかつて行われていた神舞である。
神舞とは、旧薩摩藩領に伝わる神楽型の神事芸能で、今でも鹿児島県や宮崎県で行われている。
藺牟田神舞は昭和51(1976)を最後に現在は途絶しており、
現在は所崎平・牧山望編著『藺牟田神舞』(私家版、1975)に紹介された近代以降の記録と、
『神舞一庭之事』という神舞の次第書及び「聖教」と呼ばれる祭文群が江戸前期の藺牟田神舞を伝える。
藺牟田神舞は、先行研究により中世神仏信仰との関わりが指摘されており、
中世神道説との関わりが明らかにされつつある。
本報告では以上の研究史を踏まえ、藺牟田神舞の「花舞」を取り上げる。
「花舞」では、舞庭を東西南北中央の浄土に囲まれた場として荘厳し、
さらに中世神道書に登場する「法性神」を讃える歌を詠い上げることで、
神舞の場を現世の浄土としてゆく。
本報告では、神仏信仰の近世的展開として捉える視点から藺牟田神舞を位置づけ、
神楽・祭文研究から忘れられた存在と言える神舞研究の可能性を考えたい。

第2報告 青江 智洋 氏(京都府立丹後郷土資料館)
「京都の農民美術と観光 -股のぞき人形をめぐる地域振興を事例として-」
農民美術は、画家として知られる山本鼎が大正8年(1919)に提唱した社会教育運動であり、
主に農業に従事する人びとに対して手工品の製作技術を指導し、
製作された作品を展覧会に出陳したり、
販売したりすることによって、「農民」の趣味を涵養するとともに
農閑期を利用した副業の新生面を拓くことを目的とした。
農民美術運動は、大正から昭和初期の慢性的な不況のなかで農村経済を活性化させる手段として
「副業」を奨励していた農商務省(現農林水産省)の支援を受けて全国的な展開をみせた。
本報告では、その一事例として、京都でおこなわれた土産品製作講習会を取りあげる。
府内の観光地付近で開催された講習会では、
その土地の特色ある風俗を取り入れた観光土産品が創作され、
参加者である地域住民は副業として土産品の製作に取り組んだ。
天橋立を擁する宮津市で開催された講習会では、
「郷土らしさ」を象徴する土産品として橋立人形(股のぞき人形)が作られた。
本報告では、観光と結びついて展開した京都農民美術の動向を概観するとともに、
生活の安定や地域振興に結びつけてこの運動に期待を寄せた
人びとの取り組みや創意工夫について取り上げる。

第3報告 濱田 時実 氏(佛教大学研究員)
「現代の神社祭礼の考察―美具久留御魂神社秋季大祭におけるだんじりを主に」
大阪府富田林市にある美具久留御魂神社は、南河内の秋祭りとして地元住民に親しまれている。
特にだんじりが出る祭りでは一年の最終を飾る祭りである。
毎年、地元住民をはじめ、いわゆる祭りファンやだんじりファンと呼ばれる人々で賑わっている。
今回注目するのは、現在の祭りにおけるだんじりの役割である。
同祭ではだんじりと神輿は欠かすことができない。
しかし、このだんじりは近年になって激しい動作が増加してきており、駅周辺で行なわれるイベントでは、
岸和田だんじり祭まではいかなくとも、その勇壮な様子を見に来る人で賑わっている。
一方、町内を曳行する様子は全くその面影がない。
しかも、宮入りしたあとの「シャクリ」と呼ばれる所作とも異なっている。
そこで、本発表では事例報告から、同祭における現代のだんじりの役割について考察し、
現代の神社祭礼においてどのような位置付けが可能か考察していくこととする。

第4報告 山田 貴生 氏(神戸市立蓮池小学校)
「播州三木大宮月輪寺および大宮八幡宮の祭礼に見られる別所長治公に対する信仰」
播州三木大宮八幡宮とその神宮寺である月輪寺。
元来一体であった宗教施設では、春季の鬼追い式、
秋期例大祭として屋台運行を伴う神輿還幸が行われてきた。
当発表では、類似の祭礼形式として、姫路の松原八幡宮・八正寺で行われてきた
鬼会式と秋期の屋台運行を伴う神輿還幸を挙げ比較を試みる。
そして、三木の春秋両祭礼において為政者たちが、
三木の英雄・別所長治公の御威徳を得ようとしていた可能性に言及する。

第5報告 近石 哲 氏(神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科博士後期課程)
「北陸真宗地帯における地蔵信仰 ー富山県南砺市、砺波市の祭祀事例からー」
民俗色彩が薄いとされる真宗地帯と呼称の、
富山県南砺市、砺波市の「地蔵祭り」を調査した。
調査地の祭祀に「聖徳太子南無仏石像」を主尊として「地蔵祭り」とする、
国内的にも稀有な事例が確認できた。
祭祀調査から、太子像の造立・安置の実態、太子と真宗や寺院の相関、
太子信仰の普及、太子像と地域普及の関係、
地蔵祭の呼称、真宗地帯の地蔵信仰に着目し考察視点とした。
着目点の太子像の造立・安置については、南砺市井波の「井波別院瑞泉寺」を中心にして、
その勢力圏に濃密な分布・展開が確認出来る。
太子と真宗の関わりは、宗祖親鸞が六角堂参籠における太子との「夢告・示現」説話が普遍である。
太子像(信仰)の普及は、瑞泉寺の「太子伝会」の絵解き法要が「巡廻仏」として各地区に普及した。
巡廻地区と太子像の安置地区の分布図を重ねると、巡廻と造像安置が合致する地区が多く確認できる。
また、直接太子巡廻がない地区にも波及し、その普及拡大が容易に理解できる。
祭祀の呼称「ゾーサママッツリ」は、真宗門徒を揶揄する「門徒もの知らず」の意味から、
石仏の知識がなく、「太子像」を「ゾーサマ(地蔵様)」の認識で現在も盛行する。
一般的には真宗の影響によって、伝統の習俗や文化が破壊されている理解が一部通説化されている。
本研究の調査地では、真宗独特の宗教生活の中で、信仰が根絶やしに出来なかった在来信仰として
「地蔵民俗」が形態を変えて継承され盛行している。
真宗地帯の住民は種々多様な信仰対象も「地蔵」として仰ぎ祀った例である。

第6報告 渡邉 英明 氏
「江戸時代の武蔵国飯能町における六斎市の形成と交易」
六斎市は、月に六度開催される取引の場で、前近代の日本で広く展開した。
武蔵国飯能町は、入間川が関東平野へと流れ出す傾斜変換点附近に立地する谷口集落で、
そこで開催された六斎市は、平野部と山間地との物資交換の場としての機能を果たしてきた。
飯能周辺では、隣接する中山村でも17世紀に六斎市が存在し、
近世中期にかけて新興の飯能六斎市にとって代わられたとされている。
ただし、飯能六斎市の開設が中山六斎市をただちに衰滅させたとは必ずしもいえず,
両者は少なくとも40年以上(1670年代から1720年頃まで)の長期に渡って並立していた。
飯能を最寄定期市とした村は、高麗・入間・秩父・多摩の四郡におよび、
遠方からの利用も少なくなかった。
飯能六斎市は、近隣地域で生産された木綿の集荷市としての機能を果たしていた。
また、山間地である外秩父の村々は,飯能六斎市に炭などの特産品を移出して食料を持ち帰った。
その際の運搬手段には,牛馬が使用された。

第7報告 斎藤 英喜 氏(佛教大学)
「神社本庁と民俗学-昭和二十一、二年の折口信夫から」
敗戦直後、折口信夫は、神社本庁の広報誌、講演会などの場で「神社宗教化」の議論を展開したが、
神社本庁側、とくに中心となった葦津珍彦たちは、その意見をGHQに阿るものとして、排撃した。
さらに折口・柳田の「民俗学」を「曲学阿世」と罵った。
敗戦直後の神社神道と「民俗学」の対抗関係の現場から、折口信夫の読みなおしを試みたい。

第8報告 中原 逸郎 氏(京都楓錦会)
「北野天満宮練り物の芸の担い手ついて」
花街は主に座敷における歌舞音曲披露を通じ、都市民の交流の場となる。
伝説によると、北野上七軒(上京区、以下上七軒)は、京都最古の花街とされるが、
その論拠には京都府発行の「京都府下遊郭由緒」(以下、遊郭由緒)の記述があるとみる。
近年の研究では、上七軒の始原を伝説の七軒茶屋ではなく、五軒茶屋とする知見も示され、
その始原が再度注目を集めている。
本発表では、上七軒の発生とも深い関係を持つと思われる北野天満宮の練り物文書を元に、
上七軒の芸の担い手に関する考察を行う。
練り物とは、病気の流行に伴い、芸能色の強いものとなった。
練り物は沿道をゆるやかに進み、沿道の客からの所望に応じ芸を披露する形式で、
京都花街の発達史を考察する上でも重要な文献であると考える。

特別報告 森 隆男 氏(関西大学)
「八重山地方の住まいと女性原理」
八重山地方の小浜島はあまり観光化が進んでいないため、
伝統的な集落・住まい・暮らしが残存している。
住まいにおける家族と客の日常・非日常の動線を追うと、
明確な「クチ―オク」の秩序が浮上し、とくに通過儀礼の際に顕在化する。
またクチーオクの線上に配置されている神々の祭祀には男女の分担が認められ、
その部屋の管理者と一致する。
クチに当たる一番座は男性が管理する客間で、そこに祀られている床の神の祭祀も男性の担当である。
最も重視されているのがオクに当たる炊事場の火の神で、
女性が専ら祭祀を担当し、女神とする証言も多い。
ここにはクチからオクに向かって女性原理が強くなる構造を認めることができる。
なお対馬の住まいに祀られているホタケサンは謎が多く、起源についても諸説がある。
この神に期待されている役割や女神であることに加えてオクが祭祀の場になっている点に注目すると、
南西諸島の火の神につながる系譜が見えてくる。

第293回 シンポジウム「「落日の中の民俗学」を超えて―京都で考える民俗学のかたち―」

日時 2016年12月3日(土)13:00-17:30
会場 京都市職員会館かもがわ

・趣旨説明 橋本 章 氏(京都文化博物館)「落日からの20年・民俗学の変遷」

・発表「「落日」の騒擾をリアルタイムで知らない若手研究者達が、
    落日の中の日本民俗学」を読んで民俗学を語る」
 第一報告 今中崇文 氏(国立民族学博物館外来研究員)
 第二報告 東城義則 氏(総合研究大学院大学文化科学研究科)
 第三報告 中野洋平 氏(島根大学地域未来戦略センター講師)
 コメンテーター 宮澤早紀 氏(佛教大学大学院)、谷岡優子 氏(関西学院大学大学院)、
         岡本真生 氏(関西学院大学大学院)、三隅貴史 氏(関西学院大学大学院)

・総括 島村恭則 氏(関西学院大学)「落日を超えて~民俗学の将来像~」

要旨
1998 年 10 月、京都・佛教大学を会場に日本民俗学会第 50 回年会が開催された。
この大会は日本民俗学会の 50 周年を記念して催されたのだが、その会場での話題を独占したのは、
特別に企画されたミニシンポジウム「民俗学の落日」であった。
基調報告を 務めたのは山折哲雄氏。
山折氏は 1995 年に雑誌『フォークロア』第7号に「落日の中の日本民俗学」と題する論を寄稿し、
同論稿はそのタイトルと内容から当時大きな話題となっていた。
当日のミニシンポジウムでは、米山俊直氏、宮田登氏、上井久義氏を
コメンテイターに招いて活発な議論が行なわれた。
会場内では山折氏の論に対する反証が数多く述べられたが、
「落日」という文言は学会の内外で強烈に作用した。
あれからおよそ 20 年を経て、来年、再び京都・佛教大学で日本民俗学会の年会が開かれる。
これを契機に京都民俗学会では、「落日」の騒擾をいま一度見つめ直し、
この年月の間に民俗学が歩んできた道程について考えるシンポジウムを企画する。
今回の登壇者には、リアルタイムであの「落日」を知らない若手研究者を招聘した。
新進の研究者たちが現代の視点から「落日」の論考に触れ、
そこから民俗学の未来に対して何を語るのか、注目していただきたい。

第292回

日 時 2016年10月28日(金)
会 場 ウィングス京都

発表者 大野 啓 氏(佛教大学非常勤講師)

論 題 家永続の願いを考える-民俗社会における「家」の変容を踏まえて

要 旨
「家」は民俗学のみならず、歴史学・社会学などで議論の俎上にあがり、
それぞれの学問領域を基盤としながら、学際的な議論が交わされてきたテーマである。
現在、論者によって「家」の定義や理解は異なっているが、共同体内において、
超世代的に家産・家業・家名などを維持しようとする規範を有し、
その背景に祖先祭祀が深くかかわっているという点については、共通の理解がなされていると思われる。

この「家」の理解は伝統的な社会を分析するうえで有効であったし、
一定の地域社会を理解するうえでは、充分な可能性を有していると考える。
しかし、現在の村落社会の状況を考えると、共同体内で家業によって「家」を維持できるような例は、
非常にまれなことであることは想像に難くない。
しかし、「家」とは言い難い世帯であっても、祖先祭祀や自家の姓の継承を意識している例は少なくない。

そこで、本報告では、これまで民俗学などが構築してきた「家」の定義が、
現在の民俗社会でどの程度有効であるのかについて議論をしたうえで、
家産・家業などを欠きつつも「家」意識を持つような世帯を分析するために、
どのような枠組みが必要になるのかについて考えていきたい。

第291回

日 時 2016年9月30日(金)
会 場 ウィングス京都

発表者 村山弘太郎 氏(京都外国語大学常勤講師)

論 題:近世京都における祭礼運営維持の論理

要 旨:
近世京都の祭礼に関連する史料は、その大部分が諸代金覚など断片的なものが中心であり、
「神事次第」や「神事覚」などその全体像をあきらかになしうるものが極端に少ない。
しかしその一方、特定の祭礼に関しては「神事覚」なども含め祭礼の全体像を復元しうる
豊富な史料群が伝存しているものもある。

両者の差異は「書き記すことの必要性」に帰結するものであると考える。
つまり何らかの大事に直面することにより、当事者たちが他者へと閉鎖された
祭礼の内容・内実を見せなければならなくなったのである。
それら豊富な史料群を俯瞰すると、内容から「祭具拝領」と「争論」に
大別することが可能であるが、これらが近世京都における祭礼が直面した大事であったのである。

本報告ではこのうち「争論」に着目し、近世京都の祭礼がどのような理由で問題に直面し、
その発生した問題にどのように対処しながら祭礼の継続を達成したのかについて検討する。
そこでキーワードとして説明されるのは「古格」「仕来り」であるが、
その実態はどのようなものなのか、またどのようにそれら概念が機能するのかについて、
特に考えていきたい。

第290回

日 時 2016年7月29日(金)
会 場 ウィングス京都

発表者:岩城こよみ 氏(大阪産業大学人間環境学部 非常勤講師)

論 題:味噌の民俗

要 旨:
電気・ガス・水道のなかった時代における家庭内食の主軸は保存食にあり、そこにウチミソがあった。
味噌汁・味噌漬け・嘗め味噌など、日常時も非常時も、家庭内食は味噌尽くしであった。
そんな味噌は、自家醸造の歴史の長さと、家族の心身を安定的に満たしてきた歩みによって
「手前味噌・おふくろの味」といわれるように、家族共有の嗜好物としても親しまれてきた。
本論は、味噌の民俗を、調査者自らが聞き取り調査で得た事例を中心に、
製造・管理・利用の実態として整理することで、明らかにしようとするものである。
25府県を歩き、話者121人、その平均生年は昭和2年、最高齢は明治40年生まれのお二方となった。
味噌祝い・味噌豆共食・味噌分与の禁忌伝承の展開、味噌と家運の連動、主婦権に及ぶ管理権、
民間療法、信仰、牛馬と味噌などにも注目する。
本論の狙いは、ウチミソの民俗を通して見えてくる「食の心」に言及するところにもある。
現代日本人は、外食・中食の隆盛とその恩恵を得る一方で、家庭内食文化を崩壊させている。
平成17年の「食育基本法」施行は、現代日本の食環境の混迷を露呈した。
平成25年のユネスコ無形文化遺産に「和食 日本人の伝統的な食文化」が登録されたが、
これによって日本の食環境の混迷が問われるような機運も見えない。
和食の基層としての家庭内食文化の軽視は、ますます深刻である。
本論が、日本の主婦たちの伝承力・技術力の確かさの一端を明らかにし、家庭内食文化の復権につながることを願う。

第289回

日 時 2016年7月29日(金)
会 場 ウィングス京都セミナーA

発表者 谷崎友紀 氏(立命館大学大学院博士後期課程)

論 題 「旅日記からみる近世京都の名所見物」

要旨
近世は,庶民生活が向上し,街道や宿場などの設備が整ったことなどが相まって,旅が盛んとなった時代である。
とくに京都は,伊勢参宮の前後に立ち寄ることが可能であり,主要な目的地のひとつとして多くの旅人が訪れた。
近世の名所や旅に関する研究は,江戸や京都における人々の名所観や,旅程の復原が焦点となってきた。
しかし,都市内における「名所見物」の復原を行ったものは少ない。当時の人々が書き残した旅日記をみてみると,
さまざまな寺社に詣で,茶屋で飲み食いをするなどといった娯楽的な行動が頻繁に記されている。
近世の名所やそれをめぐるルート,名所に対する関心など「観光行動」の実態を明らかにするには,
そのような旅人の行動を分析することが不可欠である。

本報告では,近世の京都を対象として,旅人の行動が詳細に記されている旅日記をもとに彼らの行動復原を行う。
複数の旅日記を比較検討することによって,誰もが訪れる人気の名所や,身分によって訪れるか否かが異なる名所など,
行動の差異が浮き彫りとなる。例えば,清水寺や北野天満宮が不動の人気であるのに対し,
嵯峨の二尊院や天龍寺は知識層の旅人のみが訪れている。
さらに,旅日記の詳細な分析を行うことで,このような行動の背景にある見物ルートの制約や,
名所に対する人々の関心についての検討を行った。

第288回

日 時 5月27日(金)
会 場 ウィングス京都セミナーB

発表者 橋本 章 氏(京都府京都文化博物館)

論 題 戦国武将の民俗誌~長宗我部盛親の発見~

要旨
戦国と呼ばれる時代に活躍した武将たちは、それぞれに歴史にその名を刻み、
数々の逸話を残してこの世を去っていった。
彼らの生前の行状や逸話は、やがて人びとの口の端にのぼるようになり、
語り継がれる物語となって現在に至る。

彼ら戦国武将の行状についての検証は主に歴史学に委ねられてきたが、
その歴史学においてすら、長年培われてきた巷間での語りを覆すに至らず、
むしろそれを前提とした分析が繰り返されてきた。
その結果“何がわからないのかがわからない”という事態が出来してしまっている。
それはひとつには、これまでそれぞれ の戦国武将が、江戸時代から近代、
そして現代へと続く時代の中でどのように語られてきたのかについて、
これを検証をするという作業が行われてこなかったという事が、
遠因として挙げられるものと考える。

そこで本報告では、長宗我部盛親という武将を取り上げ、
この武将をめぐる言説がどのようにして構築されたのかを検証し、
そこから長宗我部盛親の事績がいかにして現代に受け継がれていったのかを
分析することで、掲げた課題へのアプローチを試みる。

長宗我部盛親(1575-1615)は、土佐の戦国武将長宗我部元親の四男として生まれ、
嫡男信親の死に伴い長宗我部家の後継者となるが、関ヶ原合戦に石田方として参戦し
敗北して所領を失い、さらに大坂の陣で豊臣方として戦い、
またも敗れて一族と共に滅亡した人物である。
敗北の歴史の中でしか語られなかった盛親が、相応の存在感を獲得していく
様相について、彼の墓がある京都・蓮光寺における記述の変遷や、
彼の本願地である土佐での長宗我部氏に関する語られ方などを見ることで、
長宗我部盛親が「発見」されていった軌跡をたどる。 

第287回

第287回談話会のお知らせ
日 時 4月28日(木)
会 場 ウィングス京都

発表者 今中崇文 氏(国立民族学博物館外来研究員)

論 題 中国イスラームの諸儀礼と回族のアイデンティティ:西安回族の事例から

要 旨
多民族国家である中国には、人口の圧倒的多数を占める漢族のほかに、
「少数民族」と呼ばれる55の民族集団が存在している。
そのなかでも回族は、周囲に暮らす漢族と共通する言語(漢語)を話し、
容貌も漢族に相似しておりながら、イスラームを信仰し、
それに基づく生活習慣を維持していることから、
中国共産党により少数民族として認定されている人々である。

このような回族の特徴のひとつに、中国全土に散らばって住み、
各地では「清真寺」と呼ばれる宗教施設(モスク)を中心に集まり、
「教坊」と呼ばれる独特なコミュニティを形成して暮らしていることが挙げられる。
しかしながら、中華人民共和国の成立に伴う各種社会主義政策の推進、
さらには近年の急激な経済成長に伴う都市の近代化は、
回族コミュニティの存在をゆるがし、回族の脱宗教化や世俗化を進めているといわれる。

発表者はこれまで、伝統的な形態を維持しているとされる、
陝西省西安市の回族コミュニティをフィールドとして調査を行い、
そこに集う人々のムスリムとしてのアイデンティティと特定の清真寺への帰属意識が
どのようにして維持されているのかについて考察してきた。
本発表ではとくに、西安回族の人生儀礼や年中行事といった宗教実践から、
そのアイデンティティを維持するための仕組みについて明らかにしていきたい。

第286回談話会(第3回修士論文報告会)

日 時  2016年3月20日(日)
会 場   京都市職員会館かもがわ3階 大多目的室

第1報告 
星  優也(佛教大学大学院文学研究科仏教文化専攻) 
「『神祇講式』の言説と儀礼―神楽祭文における中世神道説の変貌をめぐって―」

第2報告
弘蔵勝久(佛教大学大学院文学研究科日本史学専攻)
「くじゅう連山の山岳信仰をめぐる歴史と民俗」

第285回談話会(第7回卒業論文報告会)

日 時  2016年2月28日(日)
会 場  佛教大学1号館4階 415教室

第1報告
久保 匠平(佛教大学歴史学部)
「田辺祭―構造とそれを支える人々―」

第2報告 
北澤 志織(天理大学文学部)
「藁馬行事の民俗学的考察―種類と分布を中心に―」

第3報告
安井 萌(関西学院大学社会学部)
「ストーリーテリングとネオ・フォークロア―市民民俗学の可能性―」

第4報告 
山本 希愛(立命館大学文学部)
「水産加工品に関する土産物の成立―愛知県豊橋市 名産ちくわを事例として―」

第5報告 
児玉 裕佳(関西学院大学社会学部)
「死霊と遺品―伊勢・志摩における新亡祭祀をめぐって―」
 
第6報告
尾崎 結衣(佛教大学歴史学部)
「三井寺の龍・蛇と梵鐘」

第7報告
伊藤 大生(天理大学文学部)
「白山信仰における竜神伝承―越前の伝承からみた九頭竜の位相―」

第284回

日 時 2016年1月21日(木)

会 場 ウィングス京都
発表者:岡本真生 氏(園田学園女子大学地域連携推進機構/民俗学・民俗宗教論)

論 題:「残念さん」信仰の発生と広がり―現世利益をもたらす草莽階級の志士たち―

要 旨:
「残念さん」と呼ばれる墓や神社が、各地に存在する。
たとえば、兵庫県尼崎市には共同墓地内に山本文之助という人物が、
奈良県東吉野村では大岩の前の墓で吉村寅太郎という人物が祀られている。
また広島県廿日市市には、山中の墓で依田伴蔵という人物が祀られるとともに、
依田神社も建立され、祭神とされている。
墓や神社といった差異はあるものの、彼らは幕末の動乱で亡くなった、
いわゆる草莽階級の志士たちである。
彼らの死後まもなく、墓前には多くの人々が参詣するようになった。
それらの墓に参詣すると、病気治しなどの現世利益をもたらすとする噂も広まり、
ますます「残念さん」信仰は加速していった。
いわゆる、流行り神と化したのである。
その後、流行は鎮静化するが、その墓所や最期の地が聖地化、
神社化するなどして現在でも信仰の対象とされている事例が各地に散見される。
では、「残念さん」信仰の実態はいかなるものであったのか。
本報告では、「残念さん」信仰に関連する各地の事例を提示し、検討を加えていく。

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